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民族クッ−命がけでタブーに挑戦

 済州島「4.3事件」の講演と民俗クッを大阪で取材した。東アジア現代史の中でもとりわけ、悲惨な事件の全容について、関係者らの苦難を乗り越えての真相究明の努力が実り、大統領の公式謝罪まで勝ち取った希なケースである。

 民俗クッを見た済州島出身の1世たちが、その夜興奮して寝つけなかったという話を翌日聞いた。生者と死者にとっての半世紀の重さを思った。

 記者自身がこの事件に関心を持ったのは、ここ数年のことである。事件を済州島だけでなく南の社会に決定的に広めるきっかけとなった南の小説「順伊おばさん」が3年前、日本語で翻訳、出版されて、作者の玄基榮さんの訪日講演を聞く機会があった。

 5万人とも8万人ともいわれる米軍政による済州島民大量殺戮を物語の背景に描く「順伊おばさん」は、50年以上前の麦畑での集団銃殺からただ1人生き残った女性が主人公。その時すでに精神異常を起こしていたのだが、その後30年を生き続け、結局その惨劇の記憶の重さに耐えかねて、2人の子供が埋められている自分の麦畑で命を絶つ。

 玄氏は講演の中で、この小説を発表した翌年の80年、保安司に連行され、酷い拷問を受け、その後遺症である心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだと告白した。当時、4.3事件の大虐殺、光州事件の民衆虐殺の惨劇は、一つの線上にあり、軍事政権によって隠蔽・抹殺されようとしていた。玄氏は命がけでそのタブーに挑戦し、歴史の真実を世に公表したのだ。

 「民俗クッ」にはそうした民衆の闘いがリアルに織り込まれて、観客を大きな感動で包んだ。(粉)

[朝鮮新報 2004.5.17]