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暑さ寒さも彼岸までというが、秋分の日が過ぎたというのに、今年は少し勝手が違っているようだ。でも、秋の気配はあちこちで感じ取れるようになった。夕方、勤め帰りの道端では虫の音が盛んに聞かれるようになった。マツタケや秋刀魚、栗など、デパートやスーパーなどでも秋の味覚を見かけるようになった ▼思えば最近、季節感を感じられる機会がますます失われてきているような気がする。先に述べた天候もその一つだが、食材も保存設備の発達などで年中手に入れたい時期に手に入るので、「旬」のものという感覚があまりなくなって来ている。昔、お正月と言えば、どこのお店も三箇日は目一杯休んだものだ。しかし、今ではデパートなどせいぜい休むのは元旦だけ。デパートが休んでいても、年中無休のコンビニがしっかり開いている。正月も普段の日も変わらない。生活にめりはりがないのだ ▼季節を楽しむということは、道草を食うのと似ている。わき目もふらず、目的地までひたすら歩くのとは違い、道草を食いながらでは目的地まで時間がかかる。それでも、前者にはない発見ができると思う ▼人生も道草を食いながら歩むと楽しいだろう。他のものには目もくれず、目的地のことだけ考えて突っ走ってもあまりおもしろくない、と最近思えるのだ。一つの道しかないと思ってしまえば、それで失敗した場合、挫折につながる ▼でも、人生にはいろんな道がある。国家間においてもそうだ。ただ1つの道だけが正しいなんて誰が決めたのか−、そうではないですかブッシュさん。(聖) [朝鮮新報 2004.9.27] |