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例えば、「ベルギーには小便小僧ならぬ小便少女の像がある」なんていう、知らなくても別段困らない無駄な知識を見つけては紹介する番組がある。これがなかなかおもしろい。ゲストはその驚き度に応じて、「へえ〜」と音がでるボタンを押す。「へえ〜」が多ければ多いほど、驚きも大きいというわけだ ▼その「すばらしき無駄知識」のネタ提供者は視聴者たちである。毎回、「どうでもいい話って、世の中に結構ころがっているものだ」と感心して見ている。しかし、逆に考えれば、世の中は結構そういう無駄な知識で成り立っているのではないだろうか ▼人間、目標に向かってやみ雲に走ってばかりでは、体力も精神力も続かない。時には、立ち止まって自分を振り返ってみたり、道草をくってみたり。それがいわゆる「無駄なこと」だとしても、実はそれは決して無駄ではない。必ず明日のための糧になるはずだ ▼組織も同じ。いろいろとう余曲折はあっても、最後に目標に到達できればそれでよい。実際、苦労のすえに明るい兆しが見えてきた、というのが昨今の同胞社会を取り巻く状況だと思う。それは、これまでの活動が決して無駄ではなかったことを如実に物語っている ▼考えてみれば、世の中に無駄なことなどそんなにあるものではない。無駄なようでいて、何かの役に立っているもの。件の番組も暗にそれを示唆しているのではないだろうか。「無駄」を無駄と思ってしまえば、自己否定につながる。「無駄」だと思うことでも、一生懸命にやる。そこから活路が見出されることもあると思う。(聖) [朝鮮新報 2004.8.7] |