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「顔も姿も見えない人たちと仲良くできるのだろうか、と正直そう考えていました」。長崎県の小学校で起きた事件で亡くなった女子生徒は、校内の文集にこう記していたという。逆に、顔や姿が見えないから相談に乗ることもできる、とも書いたそうだ。パソコンを通じたチャットの功罪をきちんと見据えていたことがうかがえる ▼インターネットが急速に普及して久しい。携帯も含め、手紙や電話よりメールの方がコミュニケーションの手段として大きな位置を占めつつあるのも確かだ。メール一つで世界とつながる現代社会。もはや人間はその便利さから逃れられなくなっている ▼しかし、亡くなった女子生徒がいみじくも指摘していたように、パソコンの中の無機質な電子文字からは、その人の顔も姿も想像しにくい。面識がある人とのやりとりなら別だが、まったく面識のない人からメールが来る時など、「いったいどんな人なんだろう」とあれこれ想像しても、なかなか思い浮かばない ▼だからこそ、ネット上での「会話」には最大限の節度が必要なのではないか。人材育成コンサルタントの辛淑玉さんは、「匿名で発言できるネット上では、隠れていた差別意識が拡大再生産されて表に出てきやすい」としながら、「そのような敵意は、いくら積み上げても民主主義に不可欠な建設的論議や問題解決にはつながらない」(朝日新聞5日付)と主張している ▼インターネットやメールの便利さについて否定する気は毛頭ない。だが、その「功」だけでなく「罪」の部分にも目を向けるべきではないだろうか。(聖) [朝鮮新報 2004.6.8] |