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春・夏・秋・冬

 米国でBSEの牛が発見された当初、某政党代表が牛丼を食べて庶民感覚≠アピールしていた。牛丼を食べることがすなわち庶民的かどうかは別にして、庶民の意味についてあらためて考えてみた。「広辞苑」によると、「貴族などに対し、並みの人々。世間一般の人々。平民。大衆」となる。つまり、ほとんどの人間は「庶民」の範ちゅうに入る

▼「北朝鮮の庶民は冗談も言うし、私たちと同じ普通の人間だ」。朝鮮への人道支援を続けている米国人、スティーブン・リントンさんは朝日新聞(2月24日付)のインタビューにこう答えている。放射線をじかに浴びながら結核の診察を続ける朝鮮の医師の姿に胸を痛め、97年から結核治療の支援も行う。約60回にわたって訪朝した経験を持つリントンさんは、北の人々の機微も知り尽くしているのだろう。だからこそ出てくる言葉だ

▼実際、朝鮮に滞在し現地の人々とともに生活し、話をすれば、彼らが私たちとちっとも変わらないことはすぐにわかる。普段考えていることは、夕飯の献立のことだったり、飲みにいく相談だったり、恋人のことだったりする

▼でもなぜか、日本の報道ぶりを見ていると、そういう感覚が欠落しているのではないかと思うこともしばしば。いや、わざと避けているのかもしれない。そうやって、「特異な体制」であると喧伝したいのだろう

▼本紙平壌常駐記者が送ってくる記事や写真には、固い政治物だけでなく日常生活を取材したものも少なくない。そこで記者たちが大切にしているのが、庶民感覚≠セ。(聖)

[朝鮮新報 2004.3.6]