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春・夏・秋・冬

 今年は金日成主席の逝去(7月)から10周年を迎える。そして、南の民主化闘争の象徴的存在だった文益煥牧師が1月に亡くなってからも10年目にあたる。主席と牧師が同じ年に亡くなったことにあらためて思いをめぐらした。何か因縁めいたものを感じる

▼文牧師が訪北して主席と会見し、連邦制統一で合意を見たのは1989年。当時南は盧泰愚政権下で、北に行くこと自体逮捕を覚悟してのことであった。牧師の電撃的訪北に驚きもし、感動もした。南に戻る前に日本に立ち寄った際、記者会見にも行ったが、大勢の記者が押し寄せ騒然とした雰囲気だった

▼この年の夏、女子大生の林秀卿さんが訪北した。文牧師が果たせなかった板門店経由での南への帰還も実現させた。2人の訪北は、南北が2つに分断されていることのおかしさを7千万同胞にあらためて知らせるものだった

▼その後、南北関係は徐々に改善へと進み、00年には首脳会談を通じて6.15共同宣言が発表された。その後の動きは急速だ。統一行事の共同開催、鉄道、道路の連結、経済協力の拡大…。済州道民の大量訪北をはじめ民間交流も活発だ。今や南の市民が平壌にいない時を見つける方がむずかしい

▼文牧師と林さんはソウルに戻った後、逮捕され、獄中生活を送った。しかし、彼らの行動が南北の壁に風穴を開けたことは間違いない。その後の統一運動にも少なからぬ影響を与えた

▼統一が夢ではなくなった昨今、文牧師の勇気ある行為をあらためて心に刻む。北側は南で行われる追悼行事に弔問団を派遣した。(聖)

[朝鮮新報 2004.1.15]