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若きアーティストたち(25)

神戸朝高音楽教員・千守日さん

 1998年に神戸朝鮮高級学校に赴任し、音楽教員を担当。吹奏楽部を指導して今年で7年目を迎えた。

 吹奏楽部のみならず、舞踊部や記念行事の曲など、さまざまな曲作りを手がけるウリハッキョの音楽界ではちょっとした有名人だ。

 最近では「千守日作曲集」をCD2枚にまとめた。29歳。

 赴任2年目、1999年の第32回在日朝鮮学生中央芸術コンクールで自ら作った曲「魂(殻)」を披露した。神戸朝高創立50周年を記念して作った曲で、4.24教育闘争の精神を込めた。同コンクールの自由曲は、元来ある曲を披露するのが常識となっていたが、それを覆したのが同校吹奏楽部だった。同校吹奏楽部は、91年から13年連続で金賞、98年から6年連続で優秀賞、00年から4年連続で作品賞を受賞している。「つねに新しいものを」という創作意欲がこの好成績の原点にある。

 「曲を作る時、必ずその年の『色』が何なのか決めます」

 01年に創作賞を受賞した「鼓動」という曲には、「激動の20世紀を経て、21世紀を迎えた新世代の胸にはわれわれ民族の熱い心臓が鼓動している…」という意味が込められている。

 「幼い頃から音楽に親しむ環境にあった」。家では日曜日になると父母が親しんだジャズや朝鮮の歌が流れ、自然に聞き入った。

 音楽に携わるきっかけとなったのは、生まれつきの「心臓病」だったと振り返る。小学校の頃はサッカーをしようともしたが、当然ドクターストップ。スポーツができないため、初級部4年から器楽部に入ることに。これが音楽へ携わる第一歩となった。中、高級部時代は吹奏楽部に所属し、簡単な作曲を手がけたりもした。

 高校卒業後は、教員になりたいという強い気持ちから朝鮮大学校・3年制師範科(現在は教育学部)へ。ここでも音楽にのめり込んだ。

 「ある日、アボジからシンセサイザーが届いた。当時はとても高く、簡単に手に入る代物じゃなかった。アボジが『民族教育活動に役立つ日が必ず来る』という手紙を添えて送ってくれた物で、これでよく編曲をしたのを思い出します」

 大学卒業後は西神戸初級で2年間教べんを執った。音楽教員とともに生徒たちの等身大の歌を作り、子どもの気持ちを豊かにする音楽の魅力を知った。当時、西神戸初級の音楽教員が作詞、作曲した「ヨンチョリの夢」を合唱曲として編曲した。この歌は、現在の初級部4年の音楽教科書に掲載されている。

 高級部では、受け持ったクラスで生徒らと共同でオリジナルの歌を作った。「学校生活の1年間を振り返るうえで、生徒と共に作詞、作曲する事はとても意義がある事。いい曲を作るには生徒とつねに接するのが大事」。

 また、千さんは自身は音楽家やアーティストではなく、あくまでも教員であること、音楽は教育において一つの武器だと強調する。「今の自分がいるのも生徒たちのおかげ。音楽は『楽しむもの』だと教えています。同胞たちに元気を与え親しまれ活気づける曲を作りたい。今後、同胞たちのための癒しのコンサートなんかできればいいですね」。

 作曲した音楽は同胞のみならず、日本の人たちにも親しまれている。

 「鼓動」を聞いたある日本人が「いい曲は後世に伝えるべきだ」と、レコード会社を通してCDを作ろうと話を持ちかけてきた。同校吹奏楽部OBと生徒らでレコーディングし、千さんの曲が収録されたCDが今秋にも発売される予定だ。(金明c記者)

 1975年生まれ。伊丹朝鮮初級、尼崎朝鮮初中級、神戸朝鮮高級を経て朝鮮大学校・3年制師範科(当時)卒業。西神戸朝鮮初級で2年間教べんを執った後、神戸朝高で音楽教師に。吹奏楽部を指導し、数多くの曲作りを手がける。在日朝鮮学生中央芸術コンクールでは4年連続で作品賞を受賞。作った曲は全国の朝鮮学校で広く親しまれている。

[朝鮮新報 2004.9.1]