別離 |
長い夏の日 国家に功をたて多くの職位を得た家柄である徐逈修(ソ・ヒョンス)の娘であり、当時権勢を誇った洪仁謨(ホン・インモ)の妻。裕福な、恵まれた環境の中教育を受け、百九十編以上の詩を「令壽閤稿」に残す。また、自身の文学的才能を開花させただけではなく、息子洪奭周(ソクチュ)、顯周(ヒョンジュ)、吉周(キルチュ)は文章家として、娘洪幽閑堂(ユハンダン)は、女流詩人として名を馳せる。原題は「三五七言」といい、三文字、五文字、七文字の詩句を並べた詩という意味。詩が塔のような形に記されたので、このような詩を「寶塔詩」と呼んだ。明るい夏の日、青い空、木々の影、コントラストに富んだ情景に、しみじみとした悲しみが拡がる。(朴c愛、朝鮮大学校非常勤講師) [朝鮮新報 2004.8.11] |