寂しく 東西にのびた 別れ道 いつまた 会えるとも知れない この路 誰が知るだろう ふり返るたび 愛しさが 互いに交わることを (チェラン 生没年不詳)
平安道地方の庶民の娘。ソウルから来た鄭之升(チョン・ジスン)という士人と一時生活を共にしたが、彼と離別後、病を得てこの世を去ったという。後に、この詩を読んだ鄭之升はたいそう悲しみ、平安道を訪れ彼女を悼んだ。この悲しい話を聞いた当時の人々は、涙に暮れたと伝わる。詩の内容の悲しさと共に、「崔氏の娘」としか伝わらない事実が、当時の女性達の身の上を物語っており、一層物悲しい。
[朝鮮新報 2004.7.7]