愛しい娘は
昨年死んでしまった
愛する息子も
今年死んでしまった
悲しい廣陵の地に
墓石が対に並んでいる
柳に寂寥の風は吹き
鬼火がさまよう林のなかで
紙銭を焼く
おまえたちの名を呼ぶ
酒を注ぎ供えれば
愛しい魂たちは
夜ごと墓場で遊ぶのか
今この身に宿している
子を想うことさえ悲しい
あてもない虚しい詩を
血の涙とともに呑みこむ
ホ・ランソロン(1563〜1589)
もし愛情の深さを比べることが可能なら、母の、いや親の子に対する無私の愛情にかなうものはない。ケガや病、心の痛み。子を傷つけるすべてのものを憎むのがまた親である。親にとって本来子は、その存在そのものがすべてに優るものだからである。子は希望であり、未来であり、喜びの源泉である。また、責任の所在そのものでもあり、厳しい覚悟の愛でもある。その、子を失った親の悲しみは、癒されることはない。痛ましい詩である。許蘭雪軒は朝鮮中期の天才的詩人であり、歴史にその名を留めるが、多情な夫、姑の虐待、実家の没落、相次ぐ子供の死、27歳にして夭折するという、家庭的には不運な一生を送った。(朴c愛、朝鮮大学校非常勤講師) [朝鮮新報
2004.6.9]
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