若きアーティストたち(22) |
舞踊家・李明煕さん
舞踊好きな小さな女の子は、低学年の頃から「舞踊見たさ」に下校時間を遅らせ、舞踊部のオンニたちの部活動に見入っていた。高学年に上がり、高校3年まで欠かさず在日本朝鮮学生中央芸術コンクールに出場。愛知中高入学と同時に、平壌音楽舞踊大学舞踊科の通信教育を受けるようにもなる。「やればやるほど続けたいと思うようになったのはそのときから」。卒業後は地元を離れ、大阪朝鮮歌舞団に入団。1人大阪に飛び込んだ18歳の少女を同胞たちは温かく迎えてくれた。 当時の朝鮮新報には、新入団員だった李さんが、初仕事の「花見」の席を盛り上げる様子を温かいまなざしで書いた、詩人・李芳世氏の投稿詩が掲載されている。「同胞たちの温かさを肌で感じた日々だった」と李さんは当時のことを振り返る。 数々のイベントに出演し、サークルの指導にも精を出した。そして次第に「舞踊ともっと向き合いたい」と感じるようになる。「まだまだ学びたい、自分自身を磨きたいという欲求が胸の内に沸々とわいていた。舞踊って何だろう? ダンスとの違いは? もっといろんな経験をして、朝鮮舞踊を見つめ直してみたかった」。歌舞団を退団し、ダンススクールで、ジャズダンスやヒップホップ、芝居などを学んだ。旋律に合わせて感情を表現する朝鮮舞踊とリズムに乗って表現するジャズなどとでは大きな差がある。「それまで朝鮮舞踊と同胞社会にどっぷり浸った生活をしていて、少し距離を置いて自分自身と朝鮮舞踊について考えてみたかった。これまでとは別のものと出会って、あらためて朝鮮舞踊のすばらしさに気がついた」。 「やっぱり朝鮮舞踊を踊りたい!」との思いから白洪天民族舞踊団に入団。舞踊家としてステージに立つほかに、各地の学校や保育園十数カ所を回り、朝鮮民族舞踊の講習にも力を注いでいる。 「多文化共生に対する白先生の強い思いから毎年数回、群馬県内の小学校教諭、保育士らを対象に朝鮮舞踊の講習会が開かれる。そこには約200人が参加する。先生方自身がいろんな民族文化に触れて、それを子どもたちに伝えようという取り組みで、朝鮮舞踊のほかに、アイヌや沖縄の民俗芸能も学んでいる」 その間、何よりもうれしかったのは、02年9.17以降の狂乱的な「反北騒動」の最中でも、保育園の巡回公演および講習会が中止されないことだった。「社会的な風当たりが強い中でも多文化理解の理想を曲げなかった先生方の心がうれしく、心強くもあった」。 昨年9月には、日本の若手アーティストたち(Charge)とも知り合い、それぞれの持ち味を出し合ったコラボレーションの舞台も成功させた。「ジャズに合わせて朝鮮舞踊を踊ったり、和太鼓に合わせてタップを踏んだり…」。今月29、30日には東京・築地で「Route66」(http://chargespeed.web.infoseek.co.jp/)が行われる。 「政治的な情勢が厳しくても、芸術の世界に線を引いてほしくない。私たちを応援し講習会に参加してくれるたくさんの日本の先生たちも、Chargeの仲間たちも私を快く受け入れてくれる。国境を越えて、北南の分断を越えて、朝鮮舞踊をどんどん広げていきたい」と願う李さんの夢は果てしなく広がっていく。(金潤順記者) ※1997年生まれ。愛知第2初級、東春初中(中級部)、愛知中高、平壌音楽舞踊大学舞踊科(通信教育)卒業。大阪朝鮮歌舞団に入団。退団後2年間の勉強期間を置き98年、白洪天民族舞踊団入団。舞台公演および舞踊講習など、民族舞踊普及活動に励む。昨年からChargeのステージにも出演。 [朝鮮新報 2004.5.18] |