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〈私たちのうた〉 1年間の連載を終えて

 去年の4月、「私たちのうた」の連載を引き受けることになったとき、真っ先に頭に浮かんだのは、李相和の「奪われた野にも春は来るのか」だった。学生時代、この詩に出会い、あこがれ、いつか自分もこんな詩を書きたいと思った。

 テーマも詩の選択も自由に、という担当者の言葉に甘え、1年間微力ながら朝鮮の近代詩、植民地時代の詩を翻訳、紹介していくことにした。朝鮮語で詩を書くことが命がけだった時代に、民族の心を守り、夢と希望を追い続けた詩人たちが、いまの時代に何かを投げかけてくれると思ったからである。

 また平壌で1991年、92年に出版された「現代朝鮮文学選集1920年代詩選」(1)(2)(3)(文学芸術綜合出版社)では、崔南善、李光洙、朱耀翰など、親日派ということで取り上げられることのなかった詩人たちが収録され、他の文献でも李陸史、尹東柱などが登場していることもあり、この機会にぜひ紹介したいという思いもあった。なお、南でも最近、鄭芝溶、李燦などが注目されており、詩の分野でも「南北交流」が静かに進行している。

 さて、意気込んで始めたものの、週一回必ず訪れる締め切りは楽ではなかった。古い詩集や資料を集めるために、朝鮮大学校時代の恩師を訪ねたり、図書館めぐりをした。インターネットにも随分とお世話になった。詩人の名前などから検索したサイトは、詩はもちろん履歴や当時の写真などが載っていたりして、便利な「私の文庫」になった。

 金素月とともに霧雨の降る果てしない荒野に立ったり、金東煥とともに海の風に吹かれながら松の木の下で見送る新妻に手を振ったり、盧天命とともに夜空の星を見上げたり、詩人たちと対話をする時間は、私にとってこのうえなくぜいたくなひとときだった。掲載する詩の選択に際しては、詩人の代表作というよりも、たとえば、夏には「夏日小景」(李章熙)、秋には「追憶」(金億)といったように季節感を大切にした。

 「つつじの花」「ニムの沈黙」でおなじみの金素月、韓龍雲は、多くの作品の中から「さわやかな朝」や「わかりません」などを選んでみたが、原詩の美しい響きとリズムを日本語でも伝えられないものかと悪戦苦闘した。

 「金日成将軍の歌」の作詞者李燦や「愛国歌」の作詞者朴世永が植民地時代に書いた「希望」「覚書」との出会いは、私にとっても新鮮な発見だった。

 申采浩の「君のもの」を紹介したとき、ある先輩から、「若い頃、『朝鮮上古史』をむさぼり読んだ日を思い出した。彼ほどわが民族の優越性を説いた人物はいないと思っているが、文学領域でもこんなすばらしい詩を残していたとは知らなかった」とエールが送られてきた。

 「わがふるさとの七月は/青ぶどうの熟れるとき」で始まる李陸史の詩「青ぶどう」は、青と白のコントラストが美しい水彩画のようで、今の時代に読んでも洗練されたすがすがしさを感じさせる。彼は独立運動の過程で何度も逮捕された詩人だ。筆名である李陸史(リ・リュクサ)は初めて投獄されたときの囚人番号二六四(リ・リュク・サ―同音)に由来しているという資料を読んで、技量だけで書かれた詩ではないことを改めて痛感した。尹東柱は日本でもNHKで放映されるなど、広く知られているが、今回の連載では、彼の詩が大好きな大学生の次女と、「もうひとつの故郷」、「蒼空」、「道」を一緒に選んだ。

 祖国の未来を担う若い世代への愛情と期待感が伝わってくる「朝鮮の脈搏」(梁柱東)、どんな時も上を向いて、しっかりと大地を踏んで生きていこうと呼びかける「野道に立って」(辛夕汀)、つらいことなど笑い飛ばしてしまえと言わんばかりの「南に窓を」(金尚鎔)など、私自身、どんなに励まされたことか。

 虐げられ奪われた時代に生まれたこれらの詩は、時空を越えていま、時代の大きなうねりの中にいる私たちに、朝鮮民族のしなやかな精神と明日に立ち向かっていく気概を、美しい情緒と旋律で教えてくれる。

 連載中、「読むと元気が出る」、「切り抜いて愛読している」など、たくさんのメールやFAXに励まされた。また、解釈の違いや間違いを指摘してくださったお手紙も本当にありがたかった。1年間の貴重な経験を大切にしたいと思う。(康明淑)

 ※ 連載した詩はホームページ「コスモスゆれて」http://www.geocities.jp/musumusu2002/で掲載しています。

 ※ 康明淑さん選訳の連載は2月25日掲載分を持って終了しました。なお、同タイトルでの連載は継続します。(朴c愛さんの選訳で6月より、新たに連載の予定です。)

[朝鮮新報 2004.3.3]