若きアーティストたち(19) |
ドラマー・金智英さん 「アンニョンハセヨ!」と、さわやかな笑顔であいさつする金智英さん(24)。ステージの上では汗を散らせながらハードな演奏をしていたが、間近で見る彼はさらさらヘアのベビーフェイスな青年だった。 ドラムを叩きはじめたのは初級部6年生の頃。当時通っていた学校はサッカー部しかなく、運動が苦手な金さんはいつもベンチを暖めるだけだった。何か楽しいことはないかと思ったとき、ふとテレビに映ったドラマーの姿が無性に「カッコ良く見えた」と言う。 近所にドラム教室があって、早速習いはじめることに。腕はぐんぐん上がり、次第に魅力に取りつかれていった。いつしかバンドを組みたいと思うように。しかし、「欧米的なもの」を受け入れていない朝鮮学校で学生がバンドを組むことなど想像もできないことだった。 「バンド=不真面」という偏見も強かった。まじめに音楽をしていた金さんは、不真面目でひたむきさのない姿勢にめっぽう厳しい。朝高卒業後、一時は留学の道も考えたが、中学3年生のときに初めて訪れた祖国で故・金日成主席を迎えて「少年団」の代表として記念撮影をしたときの感激を振り返り、「いずれは日本の社会に出て行く身。祖国や組織のことをもっと知らなくては」と朝鮮大学校への進学を決心する。しかし、朝大では予想外のことが多かった。全寮制であるため外にいる音楽仲間との接触が難しくなった。「皆バイトや学校に行ってるため夜の練習が多かったけど、こちらの都合と合わなくて」。 ドラムを始めたときから休むことなく続けてきた練習の中断に悩まされた。また、校内での演奏は「朝鮮の曲」と決められていたため、好きな曲が弾けないストレスもあった。音楽を持って広い世界に羽ばたきたいと願う金さんは、技術と同時に内なる自分を磨きたいとも思っていた。悩んだすえ、大学生活にピリオドを打つことに。「技術的に劣っては結局何もできないから」。 メジャーデビューを目標に練習に励む日々。朝青のイベントなどに出演を依頼されると、遠方でも喜んで飛んで行く。金さんは、ボクシングの世界チャンピオン、洪昌守を例に挙げて「在日社会でもスポーツ分野はどんどん外に向って行くのに、芸術方面は内にこもる傾向があって残念」と話した。 そして「芸を披露して身内を喜ばせるのはある意味で楽。それは相手が甘やかしてくれるから。でも、それじゃあ力は備わらない。厳しいリスナーがいて、より洗練されたものが生まれるはず」と持論を唱えた。 彼にとって「音楽はあくまで表現手段。同胞社会で育った魅力的な人間性こそがすばらしい演奏を生み出せると信じている」。 ライブ情報はこちらで。(http://members.jcom.home.ne.jp/orange-web/)(金潤順記者) [朝鮮新報 2004.1.28] |