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強制連行被害者 遺族ら、怒りと悲しみ−日本当局が入国阻む

 【平壌発=姜イルク記者】強制連行被害者の息子たちである金勇虎(67)、金元鏡(62)さんら朝鮮代表団一行は、東京朝鮮人強制連行真相調査団の招請により、11日に訪日する予定だったが、日本当局によって阻まれた。せめて遺骨だけでも持ち帰ることができると期待していた被害者の息子らは、絶望感と日本当局に対する怒りでいっぱいだった。

3回目のアボジの祭祀

アボジの祭祀を行う金勇虎さんと妻

 朝鮮日本軍「慰安婦」および強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)と朝鮮人強制連行被害者、遺族協会(遺族協会)は、今年3月末、東京・祐天寺に保管されている1100体の遺骨に関する資料提供を受け、これに関する調査活動を行ってきた。このうち、259体が北部朝鮮出身者だ。

 しかし、調査は難航をきわめているという。関係者はその理由について、▼資料の氏名が創氏改名されたもので本名がはっきりしない、▼60年の歳月とともに被害者の直系遺族が死亡したケースが多く、また、生きていても彼らの記憶が定かでない、▼朝鮮戦争(50〜53年)などで住所が変わったこと、などを挙げている。

 両機関ではとりあえず、比較的に資料がしっかりしている被害者259体のうち38人に対する調査を実施、1日現在、5人の遺族を探し出した。

 5人を代表し、平壌市在住の金勇虎、金元鏡さんが日本に行く予定だった。

 金勇虎さんは訪日予定日の数日前、市内の家族らとアボジの祭祀を行った。これが3回目の祭祀だという。

 金さんのアボジは、43年に強制連行され、その後消息が途絶えた。45年10月15日にアボジの死を知らされ、その日と翌年の10月に計2回の祭祀を行ったが、死亡とされた他の強制連行被害者が1人、2人帰ってくる中、オモニが夫の生存、帰還を願い祭祀は行わないことにしたという。

オモニの墓訪れ報告

 家族はアボジの祭祀後、平壌市兄弟山区域にあるオモニ、リ・ハクヒさん(1917年生まれ)の墓地を訪ねた。

 金さんはオモニの墓前で、「アボジの遺骨を持って帰ります。ほんの少しの間待っていてください」と誓っていた。

 リ・ハクヒさんは95年3月に他界した。

 アボジが帰る日を待ち望んでいたオモニは、人の足音がしてもアボジが帰って来たのではないか、郵便の配達員が来てもアボジの便りではないか、と期待していたという。50年代後半、帰国船が往来してからは期待が一層高まったが、アボジが帰ることはなかった。金さんは、「オモニはいつもアボジを思い、アボジの話ばかりしていた。ついには精神病を患った時期さえあった」と明かしながら、「オモニは、自分はアボジに会えず死んでいくが、お前は必ずアボジに会って親孝行しろと言い残した。もう生きて会うことはできないが、遺骨だけでも眠っているオモニのそばに安置することができる」と胸をなで下ろしていた。

 しかし、それさえも叶わなくなった。

 訪日の中止を知らされた翌々日の9日、金さん宅を訪れた。家中が重い空気に包まれていた。金さんは、「息子がアボジの遺骨を引き取りにいくことがなぜダメだというのか」と、怒りを露わにしていた。

 「人生の末期にやっと息子としての道理を果たせると思っていた」。金さんにとっては、とてもショックが大きいようだ。

 金さんは、「アボジに一度も孝行することができず、遺骨のある場所を知りながらも持ち帰ることもできない。二重の罪を感じる」「何も悪いことをしていないのに、なぜこんな不幸を強要されなければならないのか」と語った。

「巧妙な陰謀」と関係者

 遺族協会のリ・ハジン書記長は、「夫を待ち続けた女性、そして、アボジの顔も知らずに育った子どもらの精神的苦痛ははかり知れない」と話しながら、「高齢になった遺族らが親の遺骨を持ち帰る機会さえも奪った日本当局の行為は到底許されない」と強調した。

 日本当局は今回、形式上、2人の遺族に対しては入国を許可しながらも、同行する予定だったリ書記長と、朝対委のケ・ソンフン副書記長には許可しなかった。

 これに対しケ副書記長は、遺族が高齢に達したことを考えると、付き添いが必要なのは当然で、「被害者遺族の入国を遮断するための巧妙な陰謀」だと指摘した。

 また、「今回の事件を通じ、日本当局は過去を反省し、謝罪と補償をする気がないという本心が露わになった。遺族らはもちろん、わが人民の怒りは極度に達している」と指摘。

 今後の活動については、「過去の反人倫的犯罪を暴露、糾弾し、進歩的な国際機関、団体、個人と連帯しながら日本の過去の清算を求める運動を繰り広げていく」と語った。

[朝鮮新報 2004.12.16]