top_rogo.gif (16396 bytes)

「’04女性のピースライン訪朝団」に参加して、坂本洋子

平壌外大の学生たちと。「祖父母を苦しめた国を知るため日本語科を選択した」と話していた

 「朝鮮半島を戦場にさせない! 04女性のピースライン訪朝団」のメンバーの一員として、8月26日から9月6日まで朝鮮民主主義人民共和国を訪問した。

 8月26日、特定外国船舶入港禁止法の標的となっている「万景峰92」号で、右翼の激しい罵声の中、新潟港を出発した。翌夕方、元山港に到着した私たちを迎えてくれたのは、子どもたちのブラスバンドの演奏と対文協のみなさんの温かい出迎えだった。

 なれない船旅で疲れていた私は、この熱烈な歓迎で元気を取り戻し、1年前から習い始めた朝鮮語で「はじめまして、よろしくお願いします」と元気に言葉を交わした。

 在朝被爆者問題に取り組んできた関係で、過去3回訪朝しているが、今回は、仕事から離れ、日・朝国交正常化の早期実現を願う、両国の女性たちとの交流と連帯を深めることが主な目的だった。そして私にとって一番の楽しみは、ユネスコの世界遺産に指定された高句麗壁画古墳と、以前NHKテレビで見た「絶景」という言葉がぴったりの白頭山を見学することだった。

国交正常化実現を願い、ともに手を取りあって歌う(左から2人目)

 残念ながら白頭山は頂上の一歩手前で、強風と厚い雲に阻まれ引き返した。しかし、高句麗壁画は私の期待をはるかに超えるすばらしいものだった。以前に見学した歴史博物館や美術館の芸術の数々が頭をよぎり、朝鮮の文化が、後の日本の文化に大きく影響したことを改めて確認することとなった。私が所属する文化人類学研究会の顧問でもある国立民族学博物館名誉教授の祖父江孝男先生が朝鮮の文化に大変興味をもたれていたことを思い出し、ぜひ一度見て頂きたいと心から思った。

 滞在期間中は、女性連帯集会が開催され、ピースライン訪朝団のメンバーと平壌市内で働く女性350人が出席した。被爆者問題の分科会にも参加し、被爆者の方から直接お話を伺った。青年祭では若者たちに混ざって時間を忘れてダンスをした。平壌市内を散策して、下校途中の子どもたちと写真を撮ったり、買い物を楽しむなど有意義なひとときを過ごすこともできた。

世界文化遺産に指定された高句麗の徳興里壁画古墳の石碑の前で

 朝鮮語を勉強している私がもう一つ楽しみにしていたのは、平壌外国語大学の訪問だった。大学の歴史や教科の説明のほか日本語を学ぶ大学生との交流も行われた。反日感情の高まりとともに、ここ数年日本語を選択する学生が減っているというのはとても残念だった。

 「自分たちの祖父母を苦しめた日本がどういう国かを知るために選択した」と話す学生もいた。近い将来、「好きな国の言葉だから」へと代わることを心から願っている。

 日本では、共和国の体制を問題視したり朝鮮人民の尊厳を傷つけたりするマスコミ報道が蔓延し、多くの日本人がそれを鵜呑みにして同調する向きがある。特に拉致事件がそれに拍車をかけている。在日朝鮮人への嫌がらせも多い。

 では、私たち日本人はどうだろうか? きちんと過去を清算し誠実に生きているだろうか? はたして近隣諸国から尊敬される国だろうか? そして私自身は、真実を見極め、物事を判断し、行動しているだろうか?

 他国がどうあるべきか、他者がどう生きるかが問題ではなく、日本がどうあるべきなのか、私たちがどう生きていくのかが問われているのだと思う。今回はそのことを自分に問いかける旅となった。

 訪朝にかかわった両国の人たちは、お互い本音で話し合うことなどを通じて深い信頼で結ばれたことを実感した。今回の訪朝を契機に国交正常化実現の運動の輪が広がることを期待したい。(民法改正情報ネットワーク共同代表)

[朝鮮新報 2004.11.8]