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80歳を迎えた鄭敬謨氏、1日東京で記念講演と祝う会

記念講演する鄭敬謨さん

 「80歳を迎えた鄭敬謨先生記念講演と傘寿を祝う会」が、8月1日、東京池袋の東京芸術劇場大会議室で開かれた。

 「シアレヒムの会」を主宰し、「粒」誌上で日朝関係、南北情勢の透徹した分析を展開する鄭さんは、89年、盟友文益煥牧師と共に訪北し、金日成主席と会見した。その11年後の2000年6月15日、主席と文牧師の民族統一と和解への意思を継承する形で、金正日総書記と金大中大統領の間で北南共同宣言が宣布された。

 記念講演でスピーチした鄭さんは主席と文牧師の会見について「歴史的な偶然には必ず必然が内在しているのであり、必然は偶然を通してその姿を表す」と説明。文牧師と鄭さんの同族を憎悪することへの罪責感、そこから逃れようとする和解への希求は、恐らく信仰を共にする2人が必然的に共有せざるをえなかったものであろうと振り返り、次のように指摘した。

ソウルからお祝いにかけつけた李泳禧漢陽大学名誉教授

 「しかも2人は半世紀前、アメリカ人に雇われ、GHQの職員として同時に板門店に派遣されて、アメリカにより同族がどのように侮辱され、無残に踏みにじられていったのか、その光景を目撃したという経験も共有していた。この内在的な必然が外に向かって姿を現すべき偶然を待っていたのではなかっただろうか?」

 鄭さんは文牧師訪北の露払いとして88年12月に、平壌を訪れた時のエピソードに触れた。この日、「傘寿を祝う会」にソウルからかけつけて、お祝いのスピーチをした李泳禧漢陽大学名誉教授との次のような秘話は会場からも笑声が広がった。「南の民主化運動を担ってきた中核的な年齢層である386世代を意識化するうえで、より決定的な役割を果たしたのは、李先生の書かれた『転換時代の論理』である。

講演を聞く参加者(1日、東京芸術劇場大会議室)

 私が88年12月16日、平壌訪問のため成田を発つという前日、突然東京に来た李先生から今晩会いたいという電話がかかってきた。『友あり遠方より来る、亦悦しからずや』で、東京で痛飲したことがあった。しかし、その時、平壌入りの計画を打ち明けることができなかった。このことは息子たちにも秘密にしていたし、知っていたのは妻だけだった。ところが、後で聞いてみると、李先生も私を『騙して』いた。というのはご自身も民主化闘争の一環として平壌に行くべきだという思いにかられ、誰か橋渡しをしてくれそうな人を探しに東京に来ていたのだという。このことは後に発覚して文牧師と同じ時期、逮捕され、起訴されたことで『騙し』はお相子であったのがばれた」

 何年か後日本で再会した2人は腹を抱えて笑いあったと語りながら、鄭さんは「李泳禧先生と私は同じ時代精神に衝き動かされた同類の魂であった」と述べた。

 この日、「講演と祝う会」にはソウルから李泳禧名誉教授、朴炯圭牧師、ベルリンから故尹伊桑氏夫人の李水子さん、米国からシカゴ大学ブルース・カミングス教授ら内外約150人の多彩な顔ぶれが出席した。(粉)

[朝鮮新報 2004.8.11]