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「群馬朝鮮語講座」を訪ねて−7回の講義終え、次のステップへ

朝鮮新報を愛読する受講生たち

 朝鮮語の言葉と文化を学ぶ「群馬朝鮮語講座」が7月28日、今期7回にわたる講義を修了し、群馬県前橋市内の焼肉屋で打ち上げが行われた。

 受講生15人と講師の朴浩烈さん(朝鮮語通訳)が、なごやかに今後の講座についての意見交換を行って、朝鮮語を継続して学ぶことへの強い意欲を確認しあった。

 講座は初回が4月21日に始まり、毎月2回、前橋教育会館で続けられてきた。

 朴さんの掲げたモットーは「朝鮮語講座を言葉や文字、歴史にふれる楽しい交流の場に」ということだった。そのために、受講生を飽きさせないさまざまな工夫をこらした。一例をあげれば、朝鮮語を言葉だけでとらえるのではなく、1444年、ハングルを創製した「不滅の聖君」と称えられる世宗大王の人柄や業績などを幅広く伝えるようにした。

 また、朝鮮新報や雑誌イオを紹介しながら、在日同胞の生活コミュニティへの共感や関心を呼び起こすようにも努めた。さらに朝鮮料理や平壌の地図、旅行に必要な会話、絵物語「春香伝」、日本の中の朝鮮文化とフィールドワークなど幅広い題材で受講生たちが、どんどん朝鮮への知的関心を広げられるように「頭をひねった」という。

 朴さんは朝鮮大学や朝鮮学校でも教鞭をとった経験を持つ。しかし、働きながら豊かな知識を身につけようとする社会人を相手に講義したのは今回が初めてだった。

 「受講生たちの学ぼうとする真摯な姿勢がひしひしと伝わってきて、やりがいもあったし、何より『学校』の枠の中で学生に教えるのとは違う面白みや楽しさを味わえた」

打ちあげでのなごやかなひととき

 こうした朴さんの「朝鮮文化の奥深さをぜひ、日本の人たちに伝えたい」という思いは、受講生らの熱い向学心に支えられて、講義を重ねるごとに花開いていった。

 講座の代表は生活クラブ生協の唐沢みちえさん(48)。日頃から生協を拠点にアジア各国の生協とのネットワーク作りを進め、地域や生活に根づく平和の大切さを訴えてきた。 

 「今、朝鮮語を学ぶことが生きがいになっている。今までこんなことが何で分からなかったのか、目から鱗が落ちるというのは、こんなことなのか、という新鮮な驚きでいっぱいです」と笑顔で語る。

 養護学校教員の小山二美雄さんは「学ぶことがこんなに楽しいものだったのか」とニッコリ。「朝鮮語ひとつ取ってみても、隣人がいかにハングルに誇りを抱き、それを大切に守り続けてきたかを知った。ただ単に言葉を覚えるのではなく、言葉にまつわる歴史的エピソードを通して民族の心に触れることができた」と語る。

 講座が縁で8月初旬の訪朝を予定する「インテリアゴトウ」取締役会長の後藤康子さんは、「中央ユーラシアクラブ群馬」事務局長などいくつもの肩書きを持つ実業家。

 これまでイスラム圏を中心に中央アジアはじめ世界各国を訪れた。「世界中の人と仲良くなるのが、平和の第一歩。私の生き方の原点」だと微笑む。

 周辺の人たちからイスラム諸国に出かけるたびに「大丈夫?」と言われ、今度も訪朝するというと「大丈夫?」という判で押したような反響があったと嘆く。「地球上には多くの民族が住み、思想、体制、宗教が違っても共生してきた長い歴史がある。相手の文化を尊重することが一番大切だと思う。そのためには、言葉を学んで、互いの文化への理解を深めることが近道。そう思ってこの講座に通い始めたが、同じ志を共有できる仲間と出会えたのも大きな喜びだった」

 この日の打ち上げで、共に訪朝する仲間の石田かつ江さんと一緒に、朝鮮の子どもたちに学用品をプレゼントしたいと打ち明けると、すぐ仲間たちから賛同の拍手があがり、カンパが寄せられた。

 また、この日の講座には、父の斉藤雅弘さん、母の哲子さんと連れ立って出席した美世ちゃん(7)の元気な姿があった。母がアイヌ民族のため、美世ちゃんは2年間、毎月1回上京し、アイヌ語を習い続けている。

 アイヌ民族としてのアイデンティティを身につけてほしいと願う父母の思いを小さな体いっぱいに膨らます美世ちゃん。「アイヌ語もたくさん覚えたよ、勉強?、うん、おもしろい」と屈託がない。97年に百年以上も続いた「北海道旧土人保護法」という悪法がようやく撤廃された日本。

 しかし、新法で「アイヌ文化を尊重する」と宣布した時点では、アイヌ語を話せるアイヌの古老はほぼいなくなっていたという厳しい現実があった。

 「娘は日本の研究者からアイヌ語を学んでいる。これからも一生懸命にアイヌ文化を学び、さらに、朝鮮語も学び、アジアや世界の人たちと友情の輪を広げていっほしい」と願っている。

 訪朝する石田さんも「この数年、日本の朝鮮政策のひずみと北バッシングの嵐を見続けてきた。このあまりの時代錯誤の状況に、胸のふさがる思いでいるが、学んだ朝鮮語で、ぜひ、平壌の人々に平和のメッセージを伝えて来たい」と語った。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2004.8.11]