「北海道朝鮮学校を支える会」設立、処遇改善に取り組む活動計画は5つ |
「北海道朝鮮学校を支える会」(以下「支える会」)の設立総会が16日、札幌市の北海道教育会館で開かれた。道内の日本の教員をはじめとする各界各層の日本人、北海道朝鮮初中高級学校の教員、同胞、関係者らが参加した。幅広い層の日本の人たちが、朝鮮学校の置かれている現状に対する認識を深め、その処遇改善に向け活動を行おうというのが設立の趣旨。「支える会」設立準備委員会の鈴木芳雄事務局長は、「心ある人たちのおかげでようやく設立することができた。いろんな人たちと関わり合いながら朝鮮学校への処遇改善に取り組んでいきたい」と述べる。 総会の流れ
「支える会」では、@朝鮮学校との交流を図るA朝鮮問題に関する学習会や講演会を開催するB「日朝友好促進交換授業」に取り組むC署名運動や支援カンパ活動などに取り組むD会報を発行する―の5項目から成る活動計画を定め、それを推し進めていくことになる。 総会では、鈴木事務局長が経過報告を行ったあと、北海道初中高の崔寅泰校長があいさつ。北海道ウタリ協会の阿部ユポ副理事長が連帯のあいさつを述べた。 阿部氏は、「先日朝鮮大学校を訪問し、歴史のある校舎と学生たちの真摯な姿に感動した。しかし、何十年もたつのに大学として認可を受けていないことに衝撃を受け、心が痛んだ」と話し、「これからはこんな差別的なことがあってはならない」と強調した。 共同代表をはじめとする役員たちのあいさつに続き、北海道初中高の教員たちが合唱を披露した。 最後に、朝鮮大学校の韓東成助教授が「『人間の自主性をはぐくむ』−朝鮮学校のめざすもの−」と題し、3つのテーマに沿って講演。「朝鮮学校が実際にぶつかっているさまざまな問題は、それぞれの地域における地道な努力の蓄積によって一つひとつ解決されるべきだ」などと話した。 閉会のあいさつをした北海道議会の蛯名清悦議員は、「本会の設立を機に、全体の輪がますます広がることを心から祈念する」と述べた。 設立までの過程 北海道初中高では、1970年頃から札幌市教職員組合を中心に日本の教員たちとの交流を深め、学校見学、交流会、学習会などを催してきた。98年からは、地域の人たちとの交流を深めるために学校を公開する「アンニョンフェスタ」を開催し、日本学校の生徒たちとの交流も行っている。
97年から毎年開かれている「日朝友好促進交換授業研究会」(「交換授業」)で、日本の教員たちが北海道初中高で授業を行う試みも始めた。最初は少人数だったものの、2002年からは初1〜高3の全クラスで行うまでになった。参加者らはこのような過程を通じて朝鮮学校に対する差別の現状を把握していった。 鈴木事務局長は、「何とかならないものか、と日本の教員たちの間で論議した結果、朝鮮学校のことをもっと知ってもらい、少しでも処遇改善を図るための会を作ろうということになった」と話す。 それから早速準備委員会を結成した。教員たちにビラを配り、また、広範な人たちにも知ってもらおうと、呼びかけを行った。新聞記事でも紹介された。
新聞を見たある日本人女性は、「私にも高校生の息子がいる。同じ高校生なのに大学受験資格がないのはおかしい。子を持つ親として、支える会に参加したい」と電話をかけてきた。また、総会がはじまる数時間前に教育会館を訪れ、「用があり総会には参加できないが、ぜひ会員になりたい」と申し出た人もいた。 「本当にうれしかった。組合の人に限らず、誰でも参加できる会にしたいと思っていたから」と鈴木事務局長。 会員は16日現在で85人。なかには日本舞踊家や牧師などもいる。さらに、多くの人に会員になってもらうためにも、会の活動を充実させていくことが課題だという。 「これまでのさまざまな行事や『交換授業』などで目にした朝鮮の子どもたちの生き生きとして楽しそうな姿から多くを学んだ。これからも日朝の友好を深めるため、また(会員になってくれた)心ある人たちの行為をむだにしないためにもがんばっていきたい」(鈴木事務局長)。 参加者のコメント 第1回目の「交換授業」から毎年、朝鮮学校の生徒たちに教えている黒田敏彦氏(清田中学校教員)は、「朝鮮学校に対する不当な政策は脈々と続いてきた。現状は変わってきているようで、そうではない。会を通じて朝鮮学校をもっと知れば、どういうことが不当なのか、詳細が明らかに見えてくるだろう」と語った。 同会の共同代表の一人である古賀清敬氏(日本キリスト教会牧師、北星学園大学講師)は、「共同代表を頼まれた時、日本人として当然のことと思い引き受けた。会の活動は市民レベルで行っていくことが大事だ」と述べた。 崔寅泰校長は、「今までいろいろな日本の人たちと交流を深めてきた。会員には生徒たちをよく知る人が大勢いる。生徒たちもとてもなじんでいる。情勢が厳しい中、数々の試練を乗り越えて結成されただけに、大変重みがあり、意義深い。これからも手を取り合って、何があっても活動を続けていきたい。設立に賛同し、奔走してくれた人たちに心からお礼を申し上げたい」と話していた。(崔良先記者) [朝鮮新報 2004.7.22] |