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投稿〉 ガタリンピックに参加して

対象朝青員は約30人

レセプションパーティーで。通訳ボランティアスタッフとして参加した佐賀朝青員と桑原允彦・鹿島市長、釜山外国語大学の教授と共に

 第20回鹿島ガタリンピック(主催=国際ガタリンピック委員会・フォーラム鹿島)が5月30日、佐賀県鹿島市七浦海浜スポーツ公園で行われた。今年は同28、29日に釜山外国語大学生、地元小学生と全羅南道光州市高興郡の小学生との交流会も催された。3年前からは、佐賀県の朝青員らがボランティアスタッフとして参加、朝鮮語通訳を請け負っている。スタッフの一人として参加した朝青佐賀県本部委員長(非専従)、沈栄華さんの投稿を紹介する。

 佐賀には、同胞が約750人住んでおり朝鮮学校はない。名簿に残っていた朝青対象者は約30人。しかし、名簿は名簿であって所詮名前が掲載されているだけだ。

 しかも、しぼっていくと純粋な佐賀在住対象者は2〜3人に過ぎず、そのほかは他県からきた人たち。どうしたらいいのかもどかしい日々を送り、朝鮮新報を折りながら泣いた時もあった。

 「泣いたって何も変わらない。まずは自分からアクションを起こそう」

 「誰か助けて」と人を頼っている時には誰も助けてくれないが、不思議と自分で歩こうと思った瞬間から協力者が出現する。在日に限らず、日本人の理解者が徐々に増え、活動を支援しいろいろな面で応援してもらえるようになった。

宴会で盛り上がる佐賀朝青員と釜山外大生ら

 もともと人と人との橋渡しや人の喜ぶ顔が好きで、そんな顔を見ると「もっとこうしてあげよう」と、どんどんやりたいことがふくらむ。1、2年目は自分の場所を見つめ直して、ただがむしゃらに前だけ見て、児童教室、サマースクール動員など与えられた課題を全力でやった。しかし、ただ一生懸命やっても次につながるものがなければ意味がない。「つながらないもどかしさ」を感じるたびに自分の力のなさに絶望した。でも、現実を直視しないことには上の段階には進めない。

 情勢はよくなるどころかますます悪くなるばかり。

 「こんなことしてて、果たしてこの先意味があるのだろうか」

 矛盾やマンネリ化、いろいろなしがらみもあったが、佐賀も在日も大好き。でも好きなのになかなかうまくいかない。空回りの連続だった。

佐賀、在日が好き

 どうにか在日が活躍し、社会に貢献でき、佐賀にしかできないことがないかと考えていた時、「鹿島ガタリンピック」を知った。

 これだと思い立ち、すぐ行動に出た。人づてに市役所とかけあって佐賀朝青員らとボランティアで朝鮮語の通訳として参加し始めてから、はや3年が過ぎた。

 今年は20周年を迎え、「鹿島」と名前のつく全国の市町村の市民団体も招待され、今まで以上に広い意味での交流ができた。

 日本のマスコミは「拉致問題」をはじめ朝鮮や総連に対して誹謗中傷を繰り返しているが、言葉が通じれば心が通じるものだ。ガタリンピックに参加したある朝青員は、「あらためてウリハッキョで習ったウリマルの希少価値に気づいた」と言っていた。

 また、ウリマルを使って活動する在日3世に、日本市民や南朝鮮の人、民団、未組織の同胞たちが感動して積極的に協力してくれたことも印象深く残っている。

 私は佐賀と在日が好きだ。ただそれだけが私を動かし、多くの人に出会う機会をくれたと思う。(沈栄華)

※鹿島ガタリンピックとは?

 日本一干満の差が激しい(6メートル)有明海の干潟を利用して、その上で行う競技。1986年から毎年行われており、全国から約1200人の出場者と約3万人の観客らが集う佐賀県屈指の人気イベント。鹿島市の姉妹都市である高興郡(全羅南道光州市)をはじめ、九州在住の外国人ら約200人を招待している。「人間むつごろう競争」「網引きゲーム」「女相撲」などの競技がある。

[朝鮮新報 2004.6.22]