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日本の核問題の真相(4)

 しかし、日帝の核兵器保有の野心は研究での重なる失敗と第2次世界大戦での敗北により水泡に帰し、その代わりに日本は原爆の被害を受けた初の国となった。

 もし、その危険きわまりない野心が実現されたなら、必ずや日本は世界最悪の核犯罪国になったはずである。

 敗北世代の核野心は戦後、報復主義に浮かれた軍国主義勢力によってよみがえった。

 敗北後、日本の歴代執権層は片時も核の野望を捨てたことはなく、このため彼らの口からは核兵器の保有を合法化、政策化するための妄言が絶えず飛び出た。

 1957年5月7日、総理の岸信介は国会参議院の予算委員会で、「核兵器という名がつくだけですべてが違憲だというが、そうした憲法解釈は正しくない。…今後の発展を見ることなく、核兵器という名がつくだけで、どのようなものも駄目だと一律的に言うことはできない」と述べた(日本の図書「ここまできた日本の核武装」75年版)。

 総理の職から退いた後の68年3月14日にも彼は、中部経済団体連合会で「現実的に近い将来に核兵器がなくなる可能性はないし、今後、今の通常兵器が過去の竹槍のような存在」になるのが予想される実状で、「わが国が核武装をするのは当然である」と提唱した(同上書)。

 67年12月、国会で核兵器の製造、保有、持ち込みをしないという「非核3原則」を打ち出して、その後に「ノーベル平和賞」まで授かった総理の佐藤栄作は事実上、「非核、平和」の仮面をかぶった核狂信者であった。

 「非核3原則」を打ち出す前の64年、彼は駐日米国大使であったライシャワーと会い、日本の核武装の可能性について「核は一般に思われているよりも値段が安く、日本の科学、産業技術で十分に生産できることが分かった」と言い、65年1月、米大統領であったジョンソンとの会談では「中国が核兵器を保有すれば、日本も核兵器を持つべきだ」と固執した。

 彼は、「非核3原則」を打ち出した後の69年6月2日、衆議院本会議で「『非核3原則』は政策が変わったり、内閣が変われば、いつでも変更できる」と公言した(日本の図書「ここまできた日本の核武装」75年版)。

 結局、佐藤の「非核3原則」とは核武装化の裏返しのスローガンであり、核野望を覆い隠すためのベールであった。

 さらに、総理であった福田赳夫は78年3月8日、参議院予算委員会で「国の武装力を核兵器で装備するという決定を採択することができる」と露骨に言った。

 80年代に総理を務め、先頭に立って国に軍国主義復活の流れを巻き起こした中曽根康弘は84年3月15日、参議院予算委員会で公明党議員の質問に「防衛のためなら原子力も持てる」(朝日新聞84年3月16日付)と述べ、これに先立って、71年に防衛庁長官を務めていた当時には、第4次「防衛力整備計画」を発表し、「日本国憲法は防御用核兵器を禁止していない」と力説した(時事通信71年7月8日)。

 その時から数十年が過ぎた今年の1月7日、彼は外国人記者クラブで行った講演で「『専守防衛』の核兵器保有は憲法に合致する」(日本経済新聞04年1月8日付)という妄言を再び吐き、歳月が流れても変わらぬ日本軍国主義勢力の核狂症を余すところなくさらけ出した。

 90年代に入り、日本執権層は核保有の野望をいっそう露骨化した。

 総理の宮沢喜一は、総理就任前に評論家の田原総一郎との会見で「…日本にとって核武装は技術的に可能であり、財政的にもそれほど難問ではない」と主張した(中央公論91年9月号)。

 94年6月17日、総理の羽田孜は記者会見で、「確かに日本は核兵器を保有する能力がある」と明白にした(日本経済新聞94年6月18日付)。

 このように日本執権層の核妄言史は、奇怪な連続性と周期性で特徴づけられ、これを通じても日本の核の野望は実に執ようで、日本の核問題は根深いものであることがあらためてはっきりわかる。

 歴史的に根の深い日本の核野望は、現執権層のもとで極めて重大になって欺まん的な「非核節」が公然と「核兵器節」に変わり、核武装の「正当性」と「必要性」をうんぬんする反動的な「核武装論」が世論を支配するまでに至った。

 02年5月に現日本政府の高位当局者が、核武装化を口を極めて提唱する世論キャンペーンを繰り広げたのはその代表的な実例である。5月31日、内閣官房長官の福田康夫は記者会見で核兵器の保有に言及し、「『専守防衛』なら持つことができる。持ってはならないという理由はない」と公然と主張し、これに先立って5月13日、現在の自民党幹事長で、当時、内閣官防副長官を務めていた安倍晋三は非公開講演で「小型であれば原爆の保有も問題はない」と力説した。

 このように核兵器の保有を問題にしないということ自体にこんにちの日本の核問題の危険性がある。

 さらに問題は、極右保守集団である現執権層が巻き起こす軍国主義復活の流れに乗じて各界の右翼保守勢力が核大国化野望実現の雰囲気づくりに積極的に乗り出していることである。

 昨年8月、国会議員の西村眞悟はあるテレビ番組とのインタビューで、「今や、国民が覚せいして核兵器を持つべきだという考えを抱いているのに違いない。彼らは、日本に問題が生じたと見なしている」と問題の本質をわい曲し、杏林大学教授の田久保忠衛は「今から日本は核兵器保有へ進むこともあり得るという主張をすべきだ。一国が核兵器を完全に放棄するということはボクシングの試合でフックを打たないと約束するのと同じだ」という妄言を吐いた。これと時を同じくして、日本の極右雑誌「諸君!」は、核武装問題を取り上げて論じた40余人の作家の論評を掲載したが、これに関連して同誌編集長の細井秀雄は「もし、人々が数年前にそのような見解を表明していたなら、おかしい人とらく印を押されたはずだ。しかし今は、われわれが日常生活で核問題を理性的に議論できる状況がつくり出されている」と公言した(米国のAP通信03年8月)。

 これに先だって昨年の5月、極右保守派である慶応大学教授の福田和也は、ある時事月刊誌に寄稿した文で「その間、日本に足かせがはめられていた『核武装不可能論』は今、かなり古くなった」とし、「日本の安全のためにも核武装を考慮する時」だとけん伝した。これについて南朝鮮の京郷新聞03年5月31日付は、「実際に総保守の風につつまれている日本国内で『核武装不可能論』は大きく後退した。原爆被害国としての日本の核アレルギーは再び悲惨な被害を受けないためにも核武装をすべきだという論理に変身している」と評した。

 このように過去の日帝時代からこんにちに至る長い歳月、核兵器を手に入れて侵略と戦争の道へ突き進もうとするサムライの後えいの凶悪な下心はいささかも変わりがなかった。

 実に、日本の核野望は速やかに根こそぎにすべき悪性腫瘍である。

 それを残しておいては、世界の平和と安全がありえず、核脅威のない21世紀がありえない。

 世界的に深刻かつ重大な核問題を抱えている日本がわれわれの「核問題」を引き続き口にしているのは言語道断であり、笑止千万な妄動である。

 日本は他国の「核問題」を誇張してけん伝することで自国の核問題の真相を覆い隠し、その裏で核武装化の野望を成し遂げようと考えているが、それは誤算であり、妄想である

 ミイラ取りがミイラになるということわざのように、日本が「核問題」にかこつけてわれわれに対する圧力騒動に血道を上げれば上げるほど、歴史の審判台に上がった日本の核罪過はさらに大きくなるであろう。

 日本は、核武装化の道が自滅の道であるということをしかと知り、軽挙妄動してはならない。(朝鮮中央通信社備忘録)(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2004.6.5]