〈龍川駅爆発事故〉 龍川爆発事故救援日本連絡会 栄養剤、セメントなど現地で伝達 |
平安北道龍川爆発事故被災者救援日本市民連絡会が3日、東京都千代田区の番町会館ホールで記者会見を開き、訪朝報告を行った。同連絡会は、日本市民が龍川被災者により多くの支援をすることによって、政府にさらなる支援を促そうと4月30日に結成され募金運動を進めてきた。日朝国交促進国民協会、ピース・ボート、NGOラヴ・アンド・ピース、朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会、びすけっとの会、北朝鮮人道支援の会、日朝友好促進京都婦人会議の7つの団体で構成され、他に3つの団体が協力している。5月26日までに市民から1151万円の募金が寄せられた。同連絡会は現地で直接、支援物資を手渡すことを計画し、和田春樹日朝国交促進国民協会事務局長、藤沢房俊NGOラヴ・アンド・ピース代表、中村輝子びすけっとの会代表ら3人が5月29日から6月2日まで訪朝。5月31日に事故現場を訪れ、支援物資と支援金を病院と復旧事業関係者などに手渡した。 最も必要だと喜ばれた栄養剤 3人の代表らは今回、協力団体が別送する分の497万円を除いた654万円の予算をもって訪朝した。 日本からは栄養剤、浄水剤、文具、おもちゃ、菓子など段ボール12箱(30万円相当)を持参し、平壌到着後、事故対策を担当している中央機関と水害対策委員会の説明を聞いてアミノ酸栄養剤点滴液アルヴェンジ40を300ケース(160万円)、セメントを200トン(116万円)、テレビを2台(4万円)購入した。
セメントを除いた物資をバスに積み、31日朝8時、朝鮮対外文化連絡協会の関係者2人と一緒に平壌を出発。まず新義州に向かい、午後2時半に到着した。趙元成平安北道人民委員会保健部長と水害対策委員会代表が出迎えた。 彼らの説明によると、事故の被害者1000人が新義州市内の病院に入院し、うち850人が退院、現在150人がなお残っている。鼓膜がやぶれ聴力を失った人が80人、完全失明した人が5、6人だ。現在必要な薬は、打撲を受けて脳の働きが低下した被害者の回復を助ける薬、すなわちアルヴェンジなどだ。 保健部長にその薬を持って来たと話すと、非常に感謝されたという。 一行は、道人民病院を訪問し、金炳一院長から説明を受けた。事故直後から370人が入院したが、現在も大人50人、子ども60人が残っているという。当初は応急措置のために必要な抗生物質などが国際機関から送られてきたが、今はアミノ酸栄養剤が必要で国際機関に要請したが、まだ届いていないという。 一行らがアルヴェンジをこの病院に渡すことを決めると、院長はまさに今必要なものだととても喜んで感謝していた。1人あたり10本、多くても30本あればよいのでこの病院だけなら贈呈した量で当面は充分だという。日本から持参した薬1箱もあわせて提供した。 1万人が作業に従事、軍隊も 新義州を後にし、一行が龍川に着いたのは5時前だった。龍川郡人民委員会副委員長が出迎えた。 現地には、前日平壌で購入したセメント200トンが届いていた。龍川ではこのセメントと、栄養剤をはじめ日本から持参した物資すべて、それに現金150万円を贈った。副委員長は、これらは住民の生活安定、住宅建設などに有効に使いたいと話した。 副委員長の説明によると、完全倒壊した住宅1850戸分の住宅を6月末までに復興させる目標を建てており、郡内1万人の労働者、事務員のほか、軍隊も動員されているという。 副委員長は、現在復旧事業にセメントと鋼材が最も必要で、支援してくれたセメントは一行の要望に沿って託児所建設に優先的に使うと話した。また、一行が日本に帰ったら、現地の様子を伝えて、住民のためにさらに支援してくれることを願うと託した。 朝・日首脳会談に高い関心 一行は事故後、支援物資をもって現地を訪ねた初めての日本人だった。また、5月22日の朝・日首脳会談後、初めての日本人訪朝団でもあった。
朝鮮の関係者は代表らを歓迎し、一行の要望通り現地入りさせて患者に会わせるなど、できるだけの便宜をはからってくれた。そこから一行は、朝鮮の関係者の誠意を感じたという。 また、朝鮮の人々が朝・日首脳会談に高い関心を寄せていたことが印象深かったという。和田事務局長は、「日朝関係を良くしたいという気持ちがありありと伝わってきた」。そして今回の訪朝を総括しながら、「現地の要望に合致した支援物資を直接、届けることができたという意味で成功だったと考える」と述べながら、「現地をまわり、足りないものなどをいろいろと聞いてきたので、今後の方法を研究し、第2次の支援を行いたい」と話した。(姜イルク記者) [朝鮮新報 2004.6.5] |