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日本の核問題の真相(1)

 朝鮮中央通信社は8日、「日本の核問題の真相を暴露する」と題する備忘録を発表した。全文を連載する。

 こんにち、日本軍国主義者は任意の時刻に人類の頭上に核の惨禍を被らせかねない危険な核狂信勢力として登場した。

 周知のように、日本反動層は米国を後ろ盾にしてこの数十年間、再侵略野望の実現に向けた野心的な核武装化策動を推し進めてきた。

 これは、アジアと世界の平和にとって重大な脅威であり、核兵器のない世界を願う人類の念願に対する露骨な挑戦である。

 現在、帝国主義者と反動層は反帝、自主的傾向の強い国々に対する圧力手段として「核問題」を無理矢理につくり上げ、謀略と圧力騒動に血道を上げている。

 しかし、実際に無視できない核問題を抱えている国は日本である。

 他国の「核問題」を悪用して世界的な核問題の外にありながら核武装化の道を歩んできた日本にこんにち、重大な核問題がある。

 朝鮮中央通信社は、日本軍国主義勢力の危険きわまりない核武装化策動に警鐘を鳴らし、それを断固と粉砕するため日本の核問題の真相を次のように暴露する。

極度の危険ラインに至った核武装化

 こんにち、日本は一挙に核大国に跳躍できる危険ラインに到達した。

 核武装化が純然たる論議の段階ではなく、実践の段階で強行されてきたし、その結果、再侵略の熱に浮かれたサムライの後えいの手に今、核兵器が握られる条件が熟しているというところにまさに日本の核問題の重大さがあり、危険性がある。

 1990年代前半期、日本政府は旧ソ連の核、ミサイルの解体に対する「貢献」を検討する過程で「安全な解体のため製造法を知る必要がある」という主張を掲げて核兵器製造法の解明に取り組んだ。こうして完成品から逆に製造の過程を究明する「リバースエンジニアリング」(分解模倣)の方式で核兵器製造の具体的な方法を研究、完成した。その後、製造に関する報告書を核保有国の専門家に手渡し、「間違っているところがあれば言ってくれと頼んだが、別に指摘はなかった」という。(毎日新聞2003年3月5日付)

 このような核兵器製造法の完成はとりもなおさず、高度の核技術に基づき、核兵器生産のための完全な物質的準備を整えることを前提とするものであって、日本が核兵器から遠く離れていないということを集中的に示している。

 事実上、日本は任意の時刻に核兵器を製造できるすべての物質的、技術的土台を築き上げた。

 何よりも日本は、「原子力エネルギーによるエネルギー問題の解決」の看板のもと、核武装化に必要な核施設と技術を十分に整えた。

 1956年、科学技術庁に原子力部門を統一的に掌握、指揮する部署を設け、その傘下に当該の常設機構を創設することで原子力開発の第一歩を踏み出した日本は、その時から野心的な核計画を本格的に推し進めてきた。

 こうして1966年7月、日本で初の原子力発電所が建設されて稼動し始めた。

 1976年に日本は、核拡散防止条約(NPT)を批准する代価として米国から民需用核開発を承認され、他の同盟国に比べてはるかに緩和された検閲制度の下で高濃縮ウランの供給を引き続き受ける特恵に浴した。こうして日本は、再武装のためのハイテク核技術を開発できるようになった。(フランス・ラジオ文化放送1993年11月5日)

 最初に米国は、日本の核開発を統制するため米国産濃縮ウランだけ利用できる軽水炉を販売し、他の原子炉は一切開発できないようにした。すると、日本は巨額の資金を投じてカナダ産天然ウランを基本燃料とする新型転換炉を開発して1979年から本格的に稼動させた。(日本の図書「イミダス」1992年版)

 これにより、日本は核開発分野において米国の統制から脱して相対的独自性を持つようになった。

 1980年代初以降、日本は原子炉を100%国産化し、核分裂、核融合の技術を獲得して非核保有国の敷居をまたいだ。また、1986年6月、30余年間使用できるプルトニウム確保のための再処理作業を米国から許されて事実上、準核保有国の地位に到達した。(南朝鮮のKBS放送1992年7月22日)

 日本政府が発表した1993年版「原子力白書」によると、その時にもはや日本には16の原子力発電所があったし、46基の反応炉が稼動していた。これは、原子力設備の総設計能力において米国とフランスに次ぐものであった。

 2003年末現在、日本の原発の数は47に大幅に増えた。(中国の解放軍報2004年1月15日付)

 特に、日本反動層は1994年4月5日に核兵器用のプルトニウムを大々的に生産できる初の高速増殖原子炉であるもんじゅの正常稼動を開始したので内外の一致した抗議と糾弾を呼び起こした。

 世界週報(2001年11月20日)は、日本は第1世代(初期の円型炉のような炉)、第2世代(現存の軽水炉など)、第3世代(改良型軽水炉など)に続いて現在は第4世代(高速増殖炉、高温ガス炉など)の新たな原子炉の開発を一貫して推し進めている唯一の国であると明らかにした。

 それだけでなく日本は、濃縮、再処理、貯蓄の核処理システムを完備するため1992年5月に青森県の六ヶ所村に新しいウラン濃縮工場を建てて稼動させて来ており、今は、そこで全国の核廃棄物の60%を再処理する能力を持った大規模の使用済み核燃料再処理工場の建設を推し進めている。2001年12月19日にこの工場への使用済み核燃料の本格的な搬入が始まったが、操業開始予定時期の2005年7月まで稼動に必要な合計1600トンの使用済み核燃料を蓄える計画であるという。(毎日新聞2001年12月19日付)

 一方、日本は核兵器の生産に必要な核物質をより多く確保することに狂奔している。

 日本政府は、原子力の開発に着手した1950年代からプルトニウムを燃料とする高速増殖炉に依存することを長期の目標とし、その実現に向けた基礎を築き上げてきた。

 これについて世論と核専門家たちは一様に、核技術が発展した米国や欧州諸国でもプルトニウムに依拠した原子力の開発が費用や安全の面などで問題があり、また従来に比べてウランを容易に得られる条件からしてすべての国が危険なプルトニウムから手を引いているのに、なぜ日本だけがプルトニウムに執着しているのかと疑問を表した。

 米国核統制研究所は報告書で、日本のプルトニウム利用計画に関連して「高速増殖炉とそれに基づいたプルトニウム燃料の再処理は経済、安全、環境などの側面において、また核兵器拡散の危険などの見地において当初の期待を満たせずにいる」とし、日本の計画に問題点があると指摘した。(産経新聞1993年4月13日付)

 また、米国エネルギー・環境問題研究所の所長は、プルトニウムが電力生産にも、核兵器の生産にも利用されかねないので、日本に核兵器を保有する考えがないのであれば、核兵器に関するすべての記録を公開すべきであると警告した。(共同通信1994年8月3日)

 にもかかわらず、日本政府は1994年に1961年以来6回目の改正となる新たな「原子力開発利用の長期計画」を発表してプルトニウムの生産と利用を続けると再度公然と宣布し、現在それを積極的に実行している。(朝鮮中央通信社備忘録)(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2004.5.22]