top_rogo.gif (16396 bytes)

朝鮮学校・日本の子どもたち、「平和絵画展」でソウル・大田へ

 「ぼくは趙崇貴、東京朝鮮第6初級学校の6年生です」

 朝鮮語の自己紹介に教室は歓声で湧き上がった。

 5月3日。

 ソウル市内にある彦北小学校、6年2班の教室に日本から8人の子どもが訪れた。

ソウルの彦北小学校を訪問した8人の子どもたち

 韓悠和(中1)、朴愛実(中1)、李詩虹(小6)、趙崇貴(小6)は朝鮮学校に通う在日コリアン。谷本さくら(中1)、塚田萌(中1)、佐藤友梨(中1)、納口未来(小5)は日本の子どもたちである。

 子どもたちは「南北コリアと日本のともだち展」の代表団として南のNGO、南北オリニオッケドンムが主催する「北東アジア子ども平和絵画展」に招かれたのである。

 この二つの絵画展は、南北コリアの統一と北東アジアの平和を願い、そのためにまず子ども同士がお互いをもっと知り、関心を持つことで体制や文化の違いを乗り越え、平和な未来を創り出そうと活動してきた。

 今回の訪問メンバーは「ともだち展」実行委員会の5人と子ども代表団8人、そして朝鮮学校の教員2人である。

 5月2日、3泊4日の旅は始まった。好奇心に満ちた教室の黒板には「北東アジア子ども平和ワークショップ」の紙が張られている。代表団の子どもが順番にあいさつを始め、日本の子どもに続き、4番目に崇貴が朝鮮語で話したとたん、教室に歓声が上がったのだった。

 在日と日本の子どもが混じり合ってのグループ別活動の最初は自己紹介。在日の子どもたちの通訳で、交流はとてもスムーズで楽しいものとなった。

 詩虹と友梨たちのグループは、一人の女の子が開口一番に「私の好きな男の子」を告白して大さわぎ。詩虹の通訳で友梨も「かっこいい!」と共感したりと、女子パワー全開となった。

すぐうちとけた子どもたちの楽しそうな表情

 次は、教室を移動して「民俗遊び」を楽しんだ。

 朝鮮学校でもなじみのある、チェギチャギやペンイだが、さすが本場の子どもたち。とっても上手で驚かされる。日本の子どもたちも、見よう見まねでがんばっていた。

 軽い運動の後は給食。一枚のプレートにご飯、スープ、キムチ、トッポッキを盛りつけてもらって「モッケッスンミダ」。

 午後は、オッケドンムのイムさんの進行で、平和な未来の世界を色粘土や、ペンでそれぞれの思いを表現し、一つに仕上げる共同制作。

 愛実と未来のグループは、朝鮮半島と日本の間に虹の道を作り、その上を行き来する乗り物を乗せている。

 南北コリアと日本をつなぐ道が、この教室でいくつも完成していった。

 別れの時間。メールや手紙のやりとりを約束し合う子どもたち。積極的なソウルっ娘に、ギュッと抱きしめられ、悠和が照れ笑い。

 緑の木立が、雨に濡れる校庭のたたずまいと共に、彦北小学校での交流は心清しいものとなった。

 5月4日。

 オッケドンムの子どもたちと大型バスで2時間半。忠清南道大田市のエキスポ科学公園に到着。

 1900年代の日帝植民地時代から南北の分断、そして6.15以降の和解に向けた歴史の歩みが、年次表で展示されていた。他にも、北の人々の生活などが、写真や展示物で紹介されていた。

 オッケドンムが支援している託児所の子どもたちの映像も流れていた。

 北との距離が、確実に縮まりつつある南の情勢が伺える展示物の中に、南北コリアと中国、日本に住む子どもたちの絵が壁いっぱいに張られていた。

 とくに、入口にびっしり張られた葉書大の絵は、龍川駅爆発事故で被災した子どもたちへのメッセージだった。この日のワークショップは、列車型のカードに絵とメッセージを書いて、龍川の子どもに送るというものだった。

 この事故でたくさんの子どもが命を落とし、大怪我を負ったニュースは日本でも大きく報道された。しかし、最近の日本の激しい朝鮮バッシングの中、在日と日本の子どもが共に子どもを思いやる姿など、想像するのは難しい。けれど、ここ大田では何の垣根もなく、北の子どもたちに思いを寄せて、龍川の被災した子どもを案ずる姿があった。子どもたちは、何ら気負うことなく壁を飛び越えていく。

 ワークショップを終えて、特別記念館の前で記念撮影。羽を拡げた鳥をモチーフにした記念館の屋根と子どもたちの、平和な未来を思う心が重なって見えた。

 日本の友だちと手を取り合い、東京−平壌−ソウルをつなぐ、在日コリアンの子どもたちの姿が印象的だった。(東京朝鮮第5初中級学校教員、金聖蘭)

[朝鮮新報 2004.5.17]