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「北朝鮮・寧辺原子力研究センター」訪問に関する米上院外交委員会公聴会報告(3)

 使用済み燃料貯蔵ビル−彼らは8000本の燃料棒を全て使用済み燃料貯蔵プールから取り外し、放射化学実験室(プルトニウム再処理施設)にそれらを輸送し、(プルトニウムを抽出するために)再処理したと、はっきり述べた。燃料棒は朝鮮製のコンテナ(金属製のざる)でプールから取り出され、特別に遮へいされた輸送容器に入れられていた。燃料棒を取りはずす間、彼らは約半分の米国製容器が貯蔵中に漏れていたことに気付いた。しかし彼らは使用済み燃料棒をプールから出したり、再処理のために毎日、特別な容器に入れトラックで放射化学実験室に運ぶというような重大な問題を経験したことは無かったと主張した。

 それらは、1994年に枠組み合意の一部として稼動が中止した後、朝鮮が5メガワット原子炉から取り外した使用済み燃料棒だ。枠組み合意から2〜3カ月経った1995年のある頃、缶詰作業の準備が始まった。その工程はかなり難航し、2000年6月まで終わらなかった。その間、米国務省とエネルギー省は朝鮮側と共同で米国の提供した400のステンレス・スティール容器に(ドライ不活性ガスと一緒に)それらの燃料棒を詰め、(放射物を遮へいするため)深いプールの水の中に安全に貯蔵することで、燃料棒の放射能レベルを時と共に減少させることを可能にした。この施設は、燃料棒が不正に変更されることがないようにIAEA査察官によってさまざまな装置や封印などが取り付けられていた。しかし、IAEA査察官は2002年12月に朝鮮によって退去させられた。それ以来、朝鮮の人員だけが原子力研究センターに出入りできた。

 使用済み燃料プールの最初の調査で、(8000本の燃料棒が詰められた)容器がプールの中に入れられた後に米国の使用済み燃料チームが設置した固定板と関連構造物がないことがわかった。私たちはすぐに全ての燃料棒はもはやプールの中にはないという事実を確認した。なぜなら多くの容器がなくなっていたり、開けられていたからだ。そのビルは暖房が入っておらず、プールの水面には薄い一面の氷が張っていた。私がいくつかの容器がまだ閉じたままになっていることに懸念を表明すると、彼らは容器の中から無作為に1つ選び、それを開ける(全てはプールの水の中で行われた)ことを特別に許可し、そこには閉じたままの容器の中にさえ、1本の燃料棒も残ってないことを立証した。私が無作為に選んだ容器には燃料棒はまったくなかった(初めは20本入っていた)。あれこれと観察した結果、私は使用済み燃料プールは空っぽで、燃料棒がなくなっているということを確認した。彼らが8000本の燃料棒を他の格納先に移動させたのかもしれない。しかしそのような貯蔵庫は深刻な健康と安全上の問題をもたらしかねない。
 (放射化学実験室を回っている間、私は研究室に燃料棒を入れるための通関港の役割をしている乾式倉庫ビルに行けないか尋ねた。彼らは、そこは活動していないし、ビルの中には働いている者もいないので許可できないと言った)。

 放射化学実験室−彼らは2003年1月中旬に開始し6月末に終了した1つの連続的な作業により放射化学実験室で8000本全ての使用済み燃料棒を再処理したと述べた。彼らは放射化学実験室が再処理できるウランの容量は1日375キログラムであると述べた(彼らは、24時間体制、6時間労働・4交代で働いたと語った)。彼らは後になって、通常の稼動状態では1年に110トンの使用済みウラン燃料を再処理できると補足した。したがって、彼らは6カ月足らずで50トンの使用済み燃料棒を最近の作業で再処理することができた。彼らは我々に再処理が行われている、ホットセルの隣の通路を見て回ると言った。作業は完了していて、この施設は今は稼動していない。すべて片付けられ、通路には放射能の危険はない。

 放射化学実験室で我々は彼らが工業規模の再処理施設を持っていることを確認した。この施設は手入れが行き届いているようだった。彼らは問題の規模でのプルトニウム再処理に必要な施設、設備、技術的専門知識を示した。彼らは核分裂生成物とウラン燃料からプルトニウムを分離するのに、スタンダードなピューレックス法(核燃料の再処理で用いられる溶媒抽出法の一種)を用いている。彼らは再処理化学に関する我々の出した全ての技術的な質問に完璧に答えた。我々は最終的なプルトニウムの精製と製造に使われたグローブ・ボックスは見ることができなかった。彼らはそれが下の階にあって、今日のツアーには含まれていないと言った。オルブライトは彼の本(ディビット・オルブライト、ケビン・オニール編著「北朝鮮核疑惑解決」ISIS Press)の中で、5つのグローブ・ボックスが二酸化プルトニウム生成物を製造するこの工程で使われたと述べた。彼はまた、1〜2個のグローブ・ボックスが査察官の立ち入りが認められる前に既に移された可能性があると報告した。それらのボックスは恐らく、二酸化プルトニウム(再処理作業から生まれる典型的なプルトニウム生成物)をメタル(金属)に処理するのとプルトニウムメタル(金属プルトニウム)を鋳造したり形成したりするのに使われたと推定される。我々はこのツアーに基づいて、2003年の上半期にその施設が稼動していたかどうかは確認も、否定もできない。

 彼らは放射化学実験室を自力で作ったとはっきり述べた。彼らは1986年に建設を始め、主要な部分は1990年に完成した。彼らは当時、60グラムのプルトニウムを抽出するため、80本の燃料棒と天然ウラン棒の施設で「ホットテスト」を行った。

 オルブライトは「ホットテスト」には、172本の新しい燃料棒と組み合わされた5メガワット原子炉の中で放射線を照射した86本の燃料棒も含まれていると伝えた。彼はまた、1992年に朝鮮が62グラムのプルトニウムを含んだ酸化プルトニウムをIAEA査察官に差し出したと報告した。しかし、1992年にIAEAの査察が始まる前に朝鮮によって実際に処理されたプルトニウムの総量についてはまだ強く真偽を問われている。

 廃棄物の流れの処分について問われるや、彼らはごく最近の再処理作業による廃棄物は1990年春に処理された80本の燃料棒の「ホットテスト」からの廃棄物と合わさったと述べた。

 我々は廃棄物施設を訪問することはできなかったので、この発言に関しては確認できない。たとえ施設を訪れたとしても、我々は核廃棄物の高度な標本抽出と測定なしには判断を下すことが出来なかった。しかし、この種の情報は施設の再処理の軌跡をたどるのに重要である。

 彼らは、初めは民生目的で燃料サイクルを運営するつもりだったのだが(プルトニウム生成物質を二酸化プルトニウムとして貯蔵していただろうという意)、米国の敵対行為のため、彼らはすべての作業を変更してプルトニウムメタルに再処理したと述べた。彼らはこの工程は、IAEAによる査察の間はなかったいくつかのグローブ・ボックスを取り付けることによって、放射化学実験室で行われたと述べた。彼らは設備の取り付けと、プルトニウムメタルを処理する段階のための準備で3カ月かかった。(イタリック体活字は朝鮮側関係者の説明)(シーグフリード・S・ヘッカー、カリフォルニア大学ロス・アラモス国立研究所首席研究員)(翻訳、まとめ=姜奈於記者)

[朝鮮新報 2004.4.29]