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「誠信」へのアプローチ−平和と和解の視点で−

偏狭なナショナリズム主張する「バカの壁」

 336万部を売ってなお書店での売り上げ上位を維持する 「バカの壁」の著者。脳学者としての本業より、いまや日本中の人が「バ…」と口にするだけで、養老さんの顔を思い浮かべるはず。

 とにかく魅力は語り口が柔らかく、発想がユニーク。初めから「日本的な枠からはみ出している」感じなのだ。

 さっそく聞いてみた。今の日本社会での民族排外主義的な動きをどう見ていますか、と。

 「時代が千年ずれているだけで、日本は基本的にはアメリカ合衆国の成立とやや似ている。朝鮮半島や中国、南方の島々…、あちこちからいろいろな人がやってきて、一緒に作った国。文化的にも朝鮮や中国の重層的な影響を受けてきた。日本人の遺伝子を調べればすぐ分かることだが、ルーツをたどれば、家系図がなくても自分の祖先が朝鮮半島の出身だ、あるいは中国南部の出身だなんてことは、たちどころに分かる。そんな時代に偏狭なナショナリズムを主張するのがいかにバカげているか、多くの人が認める時代が来ると思う」

 閉塞感を深める社会の病巣の根源をこう抉る。「世間という閉鎖的なクラブは、メンバーの資格を『暗黙』に決めている。天皇を家長とする日本型の家族。それには見た目がふつうの日本人に見えなきゃいけない」と。「見た目が違うことを差別の根拠にする。皮膚が違うとまず、『ガイジン』だという。ハンセン病の人たちへの差別も、大人になって顔かたちが変わることから起きたもの。その差別の歴史は古い。 『見た目』なんて本質でも何でもない。でも日本の文化の根底にそれが根強く残っている」。

 世間体を何より気にして、みんなと同じ方向にしか生きられない社会のありよう。「うちの会社、うちの村」の中で「みんなを見て生きている日本特有の社会」はいま曲がり角に来ていると養老さんは見ている。

 「そもそも日本人は国際的には『生きていない』と言われている。あなたの意見はどうなんだ、と言われても答えられない。たまたま『個』の意見を通す人は、『わがまま』だと言われる。世間の枠を外さないと、日本人はいつまでも『生きていない』と言われ続けることになる」

 養老さんの母・静江さんは95歳で亡くなる寸前まで現役の医師だった。亡くなる8カ月前の94年7月、鎌倉駅の近くにあった医院に取材で伺ったことがあった。

 萩野吟子賞を受けた後で、取材攻勢にへきえきしながら「調子づくのはいや、人に会うのは、一年間休養するつもり。くだらない雑誌は嫌いだから」ときっぱり。自らの半生を「自分勝手で、好きなことだけをしてきた。わがままを押し通すには当然、周囲の抵抗があって、楽じゃない」と語っていた。養老さんも「母はそのために公職にいっさいつかなかった」と懐かしむ。

 とことん自己流を貫いた母は自叙伝「ひとりでは生きられない―紫のつゆ草 ある女医の95年」(かまくら春秋社)を遺した。そこには関東大震災の時に横浜本牧で目撃した朝鮮人虐殺のもようが詳しく書かれている。そのことを聞いた時、静江さんは、当時起きていたチョゴリ事件にも触れながら、「朝鮮は長い歴史の中で、日本のお手本になった国です。それを知らない大人が、子どもにろくなことを伝えないから差別がなくならない。ただ毛嫌いしている。島国根性なんですよ」と心底から怒っていた。

 多くの患者を持ち、いつも往診に走り回っていた働きづめの母からは「おまえには手はかけなかったが、心はかけた」と言われた養老さん。そのユニークさ、枠からはみだした生き方はまさに「個」を貫き通した偉大な母の影響かも知れない。

 地図を逆に見るとユーラシア大陸から突き出した朝鮮半島。その先にある日本。アジアから海へと向かう道でもある。

 「明治の開国の時の尊皇攘夷のようにパニックを起こしてはいけない。偏狭に窓を閉ざすのではなく、国も社会も人もオープンにしていく変わり目に来ていると思う」

 養老さんがいま心配しているのは、「日本の若者が変、元気がないこと」「動物は初めから『生きて』いる。それを籠に入れて、まったく動けないようにして、餌と水が目の前を流れるようにしてやる。それがブロイラー。日本人を指して『生きていない』と言われるのはこういうことだろう。餌と水も十分。長生き。でも何か変。『生きていない』ように見える」。

 若者を変え、社会を変えるためには、人工よりも自然、知識偏重よりもまず、身体を使うことが大切だと養老さん。

 「自分の身体、自然、人生についてまったく考えていない若者が増えている。現実感覚の全く欠如した人間をつくる社会の病理の深刻さにわれわれは気づくべきだ」と警鐘を鳴らす。(解剖学者、養老孟司さん)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2004.4.13]