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〈網野善彦さんを悼む〉 ゆがんだ歴史観次々と覆す歴史家

 日本中世史研究の第一人者で元神奈川大学特任教授の網野善彦教授が2月27日、肺がんのため、都内の病院で死去した。76歳だった。

 網野氏は柳田国男以来日本社会の基軸は農業と農民にあると考えられていたが、「百姓=農民」とする従来の固定観念に修正を迫り、また、日本が単一で均質な固有の文化を持つ島国であるという単一民族観や天皇を中心とする国家像も問い直すなど、日本史の常識を次々に覆す業績を上げた。

 「日本社会の歴史」(岩波新書=上・中・下)や 「『日本』とは何か」(講談社)など一般向けの著書も多く、その「網野史学」は広い影響力を及ぼした。

 記者は何度かお会いしたことがあるが、学問への飽くなき情熱をいつも穏やかな微笑に包んでお話をされていた。しかし、その温厚な表情が一瞬、強い怒りに変わったことがあった。90年代半ば、「国民の誇り」とか、「慰安婦は商行為」などの「自由主義史観」を掲げる人々が台頭していた頃である。網野さんはその時、こう述べられた。「従軍慰安婦が兵士以下の奴隷的な状態に置かれていたことは疑いない。戦場に『従軍慰安婦』を住まわせて、兵隊が行列を作って並ぶなんてことは、どこの国でもやったことはないのではないでしょうか。今頃『国民的な誇り』などといわれたりするとしゃらくさいという感じを持つ」。

 1928年生まれで、軍隊体験を持つ「戦争世代」の網野さんは、国家主義的な動きを強めつつあった日本国内の状況に激しい嫌悪感を抱いていたのである。

 網野さんは明治以降の政府が選択した道は 「日本」を「単一」などと見る全く誤った自己認識によって、日本人を破滅的な戦争に導き、アジアの人民に多大な犠牲を強いた、最悪に近い道であったと語った。そして「日本海が『表』だった江戸時代以前は、日本はアジアに対し、より自在に動いていたし、歴史上もその期間の方が長い。国際化の在り方を明治以前にさかのぼって見ることが大切であろう」と強調されていた。

 緊張関係にある東アジア情勢を見る時、極めて説得力を持つ言葉だと思う。虐げられた女性や民衆に強い共感を寄せ、反骨の気概あふれる人間味豊かな言葉で歴史を語られた網野さんを心から悼む。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2004.3.8]