「誠信」へのアプローチ−平和と和解の視点で− |
まちがいだらけの「戦後」 大佛次郎論壇賞、毎日出版文化賞、日本社会学会奨励賞を総嘗めした話題作「〈民主〉と〈愛国〉」(新曜社)。2500枚、966ページという大著にもかかわらず、すでに9刷を重ねた。 ここには前著「単一民族神話の起源」「〈日本人〉の境界」(同)で日本の過去を問い直してきた小熊さんの並々ならぬ情熱が脈打っている。日本敗戦から1970年前後までの戦後思想を検証し、敗戦後の人々の生々しい無数の「声」が収録されている。 リアルな「声」は圧倒的な力で胸に響く。 例えば海軍少年兵だった渡辺清は復員した直後から始まる日記で、「生きて虜因の辱を受けず」という戦陣訓を示達したはずの東条英樹陸軍大将が、自決に失敗して米軍に捕らわれたことをこう書く。 「軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを打ち損なって、敵の縄目にかかる。これではもう喜劇にもなるまい」「日本人全体の恥を内外にさらしたようなものだ」と軽蔑し、戦陣訓を「破っているのは、ほかでもない当の本人ではないか」と痛烈に批判する。 渡辺は45年9月30日付の新聞に掲載された天皇とマッカーサーが並んだ写真の印象を翌日の日記に「…天皇はさしずめ横柄でのっぽな主人にかしずく、鈍重で小心な従者といった感じ」と書き、「よくも敵の司令官の前に顔が出せたものだ。それも一国の元首として、陸海軍の大元帥として捨て身の決闘でも申し込みに行ったというのなら話はわかる。…二人で仲よくカメラにおさまったりして、恬として恥ずるところもなさそうだ」と憤慨する。 「今」というフィルターを通すと意表をつく「過去」からの個別の「声」。そこには小熊さん自身も驚く予想を越えた言葉の鉱脈が広がっていた。小熊さんによれば、「集団的記憶はせいぜい20年か30年しかもたない」。従って、小熊さんが教える84、85年生まれのゼミの1、2年生たちが「初めて知ったことばかりで、新鮮だった」と読後感を口にするというのは不思議なことではない。 これほどの大著を次々と刊行する近年の仕事ぶり。「なぜ、あなたは?」とその動機をよく問われて困惑を隠さない。 「はっきりいって、自分でも分からないし、説明できないのですが…」と前置きしながら、「90年代の自由主義史観や『新しい歴史教科書を作る会』、小林よしのり氏の『戦争論』などの台頭と無関係ではありません」とキッパリ。 「戦争への無知ばかりか、『戦後』の認識がまちがいだらけというのに愕然としました。『作る会』の歴史観を批判する側の本を読んでも、その戦後認識がきわめてあやふやという点に気づいた。ここを押さえなければと思ったわけです」 ベストセラーになった「戦争論」の危うさ。しかし、小熊さんには当初から今の時代の気分を反映したこの本が売れるだろうという予感があったという。 冷戦終結と経済停滞を背景に噴出したあらゆる分野での「戦後」を問い直す動き。憲法、教育基本法改悪の論議、イラクへの海外派兵…。 例えばメディアが映し出す洪水のような「拉致被害者家族物語」。「これほどの反響は、戦争を知らない世代が台頭し、日本人というマジョリティーが戦争で被害を受けた事実すら知らないナイーブさから来たもの」だと小熊さんは見ている。 「若者の社会に対する漠然とした不安感。イラク反戦デモに向かうエネルギーと侵略戦争賛美に向かうエネルギーは紙一重のところにあると思います。その紙一重にあるものを改憲だとか戦争を賛美する『自由主義史観』のような方向に持っていかれたらたまらない。そういう潜在的エネルギーをよりよい方向に持っていくために、まちがいだらけの彼らの本よりもっとましなものをと思って書いたのが『〈民主〉と〈愛国〉』です」 本の「あとがき」には朝鮮人の元日本兵呉雄根さんの戦後補償裁判を支援した父・謙二さんの回想記が紹介されている。 国籍条項の壁に阻まれて、いっさいの補償から除外された呉さんのために証言に立ち続けた父・謙二さんは回想記で「指導者というものは、昔も今も同じ様なことを言っています。国を愛する。国を守る。こういう言葉で、どれほど多くの人が犠牲となってきたことでしょうか」と問いかける。戦争の記憶をかき消そうとする今の動きを拒絶する歴史の「声」の迫力がここに集約されているようだ。 今の政治を大上段に構えて語りたくないという小熊さん。国境や民族を越えた「個」の人間的な繋がり、発信を大切にしたいと語った。「この本はそこに玉を投げたかったのです」。(慶応大学助教授、小熊英二さん)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2004.2.25] |