〈投稿〉 メディア報道とナショナリズム |
2002年、朝・日首脳会談において朝鮮側は「拉致問題」につき、長い間両国間の対立と非正常な歴史の過程で起きた不幸な事件として謝罪した。これは朝鮮側としては最高の誠意の表現であり、朝・日関係を改善したいという熱意の表れであった。この歴史的転換点に立って日本の為政者は高所からの見識に立ち、過去の歴史を鑑みながら朝鮮を善隣関係を結ぶべき隣国と位置づけ、東北アジアの平和を強固にするためにも「拉致問題」の解決を理性的に推進すべきであったと思う。 2002年10月、日本政府は「拉致被害者」5人をいったん帰すという朝・日政府間約束を違反し帰さなかった。「拉致」自体は朝鮮に非があるとはいえ、日本側はまるで戦勝国気取りで朝鮮を見下し高飛車に行動した。もしこの時点で日本政府が約束違反についての遺憾の意を表明し、政治目的を介入せず純粋に人道問題として真摯に解決の意図をもって対応していたならば、2002年末に5人の被害者はその子どもたちと一緒に楽しい正月を迎える可能性があったと思う。 2003年12月北京で朝鮮の鄭泰和大使らと日本の衆議院議員一行間の接触が行われ5人の被害者が平壌まで子どもを迎えにいく話が行われた。その後、日本の外務省事務官が拘留者面会で平壌入りしたこともあった。しかし、これら一連の過程でも日本政府は自らの約束違反など棚上げし、100%正しいように振る舞い、朝鮮側に一方的屈辱を要求する態度で「政府間交渉」をうんぬんした。その結果、前進の機会があったにもかかわらず水泡に帰し、被害者たちが子どもに逢える日はまた長期間先送りされた。 朝鮮孤立化、敵視政策の極めつけは、最近「外為法改正案」を衆議院で通過させたことである。日本の保守政治家は「送金停止」で朝鮮の息の根を止めると騒いでいる。しかし、これは逆効果以外の何ものでもない。朝鮮は世界でもっとも自主性と国家の自主権を断固守る国である。外部勢力の強硬政策には超強硬政策で、報復には報復で対処する気質を持つ国である。「制裁」だの「圧力」だのは通じないことをどうして知らないのだろうか? もともと日本の保守政治家は過去、朝鮮に対する強権支配の罪の意識などはつゆほども持っていない。彼らは「拉致問題」を朝鮮抹殺の好機としてとらえ政治目的追求への利用に血眼になった。そして日本のメディアは、これら日本の保守国粋主義者のラッパ的役割を果たしてきたといえる。 私たちは聞きたい。日本の公使が日本人軍警を指揮し外国である朝鮮の王宮に乱入し王妃を虐殺しガソリンで焼いた蛮行は「国家犯罪」ではないのか? 3.1運動時、民族の独立を叫んだ朝鮮人を手当たり次第に逮捕し数万人を虐殺したその行為は「国家犯罪」ではないのか? 関東大震災時、にせ情報を操作し日本刀、鳶口、竹やりまで動員し6000余人の罪のない朝鮮人を殺したその犯罪、数百万人を強制連行し20万人の「従軍慰安婦」を性奴隷にしたことは「国家犯罪」ではないのか? 想像もしなかった政治と憂慮すべき社会風潮を招いた多くの責任はメディアの理性喪失と偏執なナショナリズムに基づく報道姿勢にあると言わねばならない。 2002年9月からこんにちまで日本のメディアは朝鮮叩きに明け暮れた。日本のメディアはやがて歴史の検証と審判の前に立たねばならないだろう。(金素薫) [朝鮮新報 2004.2.23] |