1枚の写真にかけた執念の記録、西野瑠美子著「戦場の『慰安婦』」 |
ここに1枚の写真がある。1944年9月、中国雲南省拉孟で中国軍第8軍の捕虜になった4人の朝鮮人「慰安婦」。その中の妊娠した1人の女性。汚れた衣服を身にまとい、疲れ果てた表情。岩肌で身を支えるお腹の大きな姿に胸をかきむしられる思いがする。 それから56年の歳月が流れた00年、この女性こそ、朝鮮民主主義人民共和国南浦に健在の朴永心さんであることを突き止めたのが、故松井やよりさんと共に「戦争と女性への暴力」日本ネットワークのメンバーとして訪朝した西野瑠美子さんだった。西野さんは00年末に開かれた女性国際戦犯法廷が終わってからも、永心さんの詳しい軌跡をたどり、日本、中国、朝鮮半島を丹念に歩き、ついにその全人生を明らかにしたのである。本書は1枚の写真にかけた西野さんの執念の記録である。 朴永心さんの生を明らかにするということは、日本軍の残忍な性奴隷制度の実態を照らし出すことでもあった。 17歳のうら若き乙女が植民地支配下の故郷から、日本帝国主義の官憲らに騙されて、中国拉孟の日本軍の「慰安婦」として駆り出されていく理不尽さ。祖国を奪われた1人の弱い個人が、なす術もなく人権を蹂躙されていく様は、血涙を絞っても絞り切れるものではない。 「あの時、何度死のうと思ったことか。たった17歳で南京の慰安所に連れていかれ、その後、どことも知れぬ松山(拉孟)の戦場で『慰安婦』生活を強いられた。砲弾の嵐の中で屈辱に満ちた生活を送り、幸運だったのか悲運だったのか、私は死線をくぐり抜けて生き延びてしまった。故郷に帰ってからも当時の記憶に苛まれ、まるで罪人のような気持ちを抱えて生きてきた。悪夢に襲われ、人々に過去のことも知られまいと隠し通し、耐え難い苦痛を抱えて生きてきた私の人生は、一体何だったのか」 80歳を過ぎ、深い皺が刻まれた朴ハルモニの心の傷。しかし、日本政府は国家としての加害責任を果たさないまま、60年近くも最も悲惨な被害を強いられた彼女たちを放置してきた。 過酷な戦場を転々と連れ回され、戦火が激しくなると置き去りにされ、足でまといになると退却時に日本軍によって惨殺された女性たち。 本書によれば、北支那方面軍独立混成第10旅団に属していた金子安次は次のように語っている。 「掃討中に、どれほど強かんがあったかも知れません。私も八人で一人の女性を強かんしたことがあります。順番はくじ引きで決めました。女性を大勢の兵士の前に引きずり出して裸にし、おもしろおかしく性器を傷つけ、その揚げ句に殺したり、数人で女性の性器に棒を差し込んで殺すということもありました。妊婦は気持ちがいいといって、お腹の大きな女性を物色して強かんしたこともありました」 日本軍兵士が悪びれもなく語る強かんの生々しい実態。その地獄から奇跡のように生還した朴永心さんをいつまでもとらえて離さなかった恐怖と絶望。その被害者と加害者のあまりにも倒錯した関係にいたたまれない嫌悪感を抱くのは、記者だけではあるまい。 恥辱的な過去の恨を誰が晴らすことができるのか。その事実を隠蔽して、歴史からも抹消し、人々の記憶からも抹殺しようとする動きが近年、日本国内で強まっている時に、この優れたルポルタージュの誕生の意味はとてつもなく大きい。 女性たちを蹂躙した日本国家の野獣性と暴力性。この比類なき残忍な日本軍性奴隷制の実態を解明し、「性暴力」の恐るべき闇をえぐった西野さんの迫力あるペン。それは、「私は人間です。人間の尊厳を破壊した行為を忘れるのは人間ではありません」という朴永心さんの尊厳を取り戻す強い意思と闘いへの熱い共感が生み出したものに違いない。 過去を告発する歴史の声は、決して封印できないことを朴さんと西野さんの魂の触れ合いが示唆している。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2004.2.21] |