東アジア青年学生平和人権キャンプ2004 in 関西の講演から |
「在日朝鮮人の教育権と人権」をテーマに行われた東アジア青年学生平和人権キャンプ2004 in 関西。南、日本、在日の大学生たちは、東大阪朝鮮中級学校や大阪朝鮮高級学校を訪れて生徒たちと交流を深めたほか、南や日本の大学教授らによる講義を受け、在日社会の現状理解をさらに深めた。以下、徐勝立命館大学教授の基調講演と鄭炳浩漢陽大学校教授の講義の要旨を紹介する。 在日迫害は全民族への迫害 自衛隊のイラク派遣により、日本はアイデンティティー・クライシス、歴史の岐路に立っている。 明治維新から敗戦までの間、日本は平均10年に1回のペースで戦争を引き起こした。当時、日本は相当な軍事力を持っていたが、「安重根事件」や台湾で起きた霧社事件など決して安全とは言えなかった。反面、第2次世界大戦後から今日までの日本では、そのような大きな事件はなかった。 敗戦後の日本が平和になった理由について、米国の安保のカサに入ったおかげという説もあるが、それはまったくのウソだ。平和憲法が日本の平和を守ったのである。つまり、日本が近隣諸国への侵略や危害を加えなかったから平和だったのだ。 しかし、自衛隊のイラク派遣により、日本は戦前同様「テロ」の恐怖におびえることになるだろう。 この動きと軌を一にして、外為法改正案が衆院を通過(9日に成立)し、その後にも特定外国船舶入港禁止法案など朝鮮と在日同胞を対象にした制裁法案が準備されている。 現在カナダに住んでいるが、日本ほど朝鮮を「異常な国」として描いているところはない。米国でも朝鮮に対するイメージは決して良いとは言えないが、一般市民は無関心だ。90年代以降激しくなり始めた日本での「北朝鮮バッシング」は、政府、地方自治体、民間団体一丸となって行われている。 また小泉首相訪朝後、彼らは「拉致は普遍的な人権に反する国家テロ」と連日のように騒いでいるが、自分たちが行っている朝鮮学校生徒に対する差別は普遍的な人権に抵触しないのか、と問いただしたい。 南北の関係はこのところどんどん進んでいるが、在日社会に対する関心は依然として低い。 南の人々に言いたいのは、日本社会に向けて「分断時代は終わった。在日同胞への迫害は南や北の朝鮮人すべてに対する迫害である」ということを声高に訴えてほしいということだ。(徐勝、立命館大学教授) 民族教育は統一教育のモデル 在日の民族教育を考える場合、まず歴史的経緯に考えを及ぼす必要がある。 民族教育は祖国解放後、大人たちが帰国する準備として子どもたちに母国語を教える目的から始まった。その後、日本が新たな「単一民族国家」を作り出すうえで排斥対象となり、民族教育は純粋な言語習得の手段としての役割に加え、民族主義的要素を強調するとともに民族教育を支えてくれる国家を必要とするようになった。 この状況で民族教育を支えたのは分断された祖国の北側であった。帰国運動が盛り上がり、朝鮮学校の使命は祖国を地上の楽園に建設すること、言い換えれば統一した祖国を建設する人材を育てることに収斂されていった。 こうしたことから、朝鮮学校で行われている民族教育は、日本学校での教育と違いスピリチュアルな面が多く、接した人間に多くの感動を与える。 また、民族教育を民族性を守るための民族教育、受験重視の偏重教育に対するオルタナティブ・エデュケーション、そしてマイノリティー社会におけるコミュニティー・エデュケーションという側面から見るとき、わが民族としてはもちろん、世界的にも注目を浴びるべきものだ。 さらに、言わば「資本主義のなかで行う社会主義教育」という点から、統一後の南北で行うべき統一教育のモデルにもなるだろう。(鄭炳浩、漢陽大学校教授) [朝鮮新報 2004.2.17] |