強制連行、労働犠牲者第2回北海道フォーラム開く |
第2回「強制連行、強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が1日、札幌市の本願寺札幌別院で行われた。昨年2月に続くもの。日本の植民地時代、北海道に連行され強制労働を強いられた朝鮮人らのものと見られる101体の遺骨とその名簿が一昨年11月、同寺院で発見されたことがきっかけとなって企画されたもの。今回のフォーラムには、名簿にあった故金益中さんの遺族、李玉順(義姉)、金敬洙(甥)さんが訪日し、日本政府が一刻も早く遺骨調査と返還作業を行うよう訴えた。遺族らは2日、道庁と札幌市役所を訪問。高井修知事室長、上田文雄札幌市長らと面談したほか、小泉首相あてに謝罪を求める手紙を送った。また、朝鮮の日本軍「慰安婦」及び強制連行被害者補償対策委員会、朝鮮人強制連行被害者、遺族協会からメッセージが寄せられた。 250人が参加
総聯札幌支部蔡鴻哲委員長、民団北海道本部薛鎭鐵直轄部長、北海道華僑総会席占明会長、浄土真宗本願寺派一乗寺殿平善彦住職、日本キリスト教会札幌白石教会古賀清敬牧師ら5人が共同代表として名を連ねる同フォーラムには、同胞、日本市民ら約250人が参加した。南からも漢陽大学校の李泳禧教授らが参加した。 フォーラムでは、これまでの経過報告が行われたあと、初めて訪日した犠牲者の遺族が発言した。 シンポジウムでは朝鮮人強制連行真相調査団の洪祥進事務局長、殿平住職、遺族の随行員として訪日した南の鄭惠瓊氏(特別法是正推進委員会)らがパネラーを務めた。 また、「歴史を踏まえて東アジアに真の和解を」と題して李泳禧教授が講演をしたほか、南の労働運動を題材に歌手活動を展開する鄭泰春、朴恩玉の両氏も訪日し、犠牲者追悼コンサートを行った。 「協力得て解決へ」 同院で発見された遺骨は、地崎組(現地崎工業)、川口組、菅原組(現菅原建設)、鉄道工業など道内の土建業者による強制連行、強制労働が原因で亡くなった朝鮮人らのものと見られ、戦前、戦後に同院に預けられたという。 これは、地崎工業が所有してきた「遺骨遺留品整理簿」の資料とほぼ一致している。名簿があったにもかかわらず、地元企業と別院の一部関係者の独断で「合葬」され、身元の判明ができなくなった。 同フォーラムでは第2回開催までの間、別院が保存してきた犠牲者の遺骨、遺留品に関する資料の解読、南の研究者との連携による遺族調査などを実施。昨年秋に光云大学金廣烈教授が故金益中氏の遺族を探し出し、連絡を取ることで今回の訪日となった。 現在、遺族らは、故金益中氏を雇用した菅原建設と地崎工業を相手取り、「遺族調査を行い、返還、補償を誠実に行うべきだ」と交渉中だが、「強制連行、強制労働に関する資料がない」などとして、いまだ正式な返事は受け取っていない。 札幌別院輪番升巴隆夫氏はあいさつで、「国の政策として、中国や朝鮮半島から強制的に連行され、強制労働を強いられて犠牲になられた多くの方々の遺骨を関係企業から50年以上預かってきた。返還に向けての働きかけを怠ったこと、企業からの相談依頼によって合葬処置が施され遺骨を返還できなかったことをお詫びしたい。今後、フォーラムの協力を得てしっかりと解決にあたっていきたい」と語った。 現在残された課題と問題は、@国に対してフォーラムとしての質問、申し入れを行うA遺族があてた手紙に対する小泉首相の返事の有無と内容B厚生労働省への犠牲者の「金益中」氏の問い合わせC地崎工業、菅原工業から返事をもらう―の4つである。 遺族の発言 フォーラムに参加した最大の理由は、私たちが認識を改めたいと思ったからです。1910年から45年にかけての歴史は、私にとっても見たくないものです。解放後、60年間の「韓日関係」が近くて遠かったのは、過去の歴史を清算してこなかったからだと思います。謝罪と補償と真相究明を心から求めています。(金敬洙さん) 義理の弟のことで私は心がしめつけられています。義理の弟を探して帰りたいのですがどうすればよいのですか。今はもどかしくて言葉もでない。義理の弟は19歳で供出されたのですが、その次の年に戦死の通知が届きました。それ以来、何の連絡もありませんでしたが、昨年になって日本から遺骨があるとの知らせが届いていると聞きました。「遺骨」と聞いた時、胸が痛くなりました。生きて帰れたらどんなに良かったかと。遺骨の話は7、8月に聞いたのですが、それ以来不眠症に悩んでいます。(李玉順さん)【札幌分局】 [朝鮮新報 2004.2.16] |