〈月刊メディア批評〉 参戦と「経済制裁」煽る日本のメディア |
米大学「卒業」の経歴をめぐってメディアの集中砲火を浴びた古賀潤一郎衆院議員(福岡2区)が民主党離党を表明した1月26日、福田官房長官は「うそは泥棒の始まり」などと批判した。古賀議員がウソをついたことは確かのようだが、メディアが連日大きく報じる必要はない。 その一方で、小泉首相や川口外相が米英のイラク侵略に関して、「イラクには大量破壊兵器があり、フセイン政権が存続すれば数十万人が殺される」などという大うそをつき続けたうえで、自衛隊派兵が強行されていることは、メディアで大問題にはならない。うそは侵略戦争の始まりだと私は思う。 イラクへの自衛隊派遣承認案は、1月31日未明の衆院本会議で、自民、公明両党などの賛成多数で可決した。反対党3党は与党による衆院テロ防止特別委員会での強行採決に反発して本会議を欠席、野党抜きの採決だった。福田長官は何を勘違いしたか、採決をすっぽかした。出兵する自衛隊員がイラクのレジスタンス勢力に殺されるか、自衛隊員がイラク人民を殺すかもしれない。こうした重大な局面での政治信条が問われる採決の場に、不注意でいなかった長官は辞任すべきだろう。 昨年3月から続く米英のイラクへの武力攻撃、強制占領は、国際法違反の侵略である。日本は米英による侵攻を当初から無条件に支持し、イラクの罪なき子ども、女性たちを殺すことに加担してきた。 小泉純一郎首相はこれを反省するどころか、米英軍を支援するために自衛隊を派兵した。首相は2月1日、旭川で行われた陸上自衛隊本隊への隊旗授与式に出席し、「国際協調は、これからの日本の繁栄と平和にとってもっとも大事な方針」などと隊員を激励した。 小泉政権のイラク派兵に反対する国民が次第に減少している。メディア企業が、「戦争に行くのではなく復興支援に行くのだ」「危ないからこそ自衛隊が行くのだ」などという小泉首相の大きなうそをきちんと批判しないからだ。 自衛隊のイラク派兵は、朝鮮半島への再侵略をにらんだ予行演習だと私は見ている。同時に、日本の国益に反する国や集団があれば、ブッシュ大統領の米国がイラクに仕掛けたように、日本の先制攻撃を掛けて武力制圧するという国家意思の表明だ。 「日本の戦士がイラクへ出発する時に、国会で乱闘するのは、あまりに日本的なことだ」と米国の御用評論家、竹村健一氏が2月1日午前のフジテレビで語っていた。陸上自衛隊本隊の「出陣式」のあの異様な風景を見て、日本がまさに、「大東亜共栄圏」の看板を「国際貢献」に塗り替えて戦争国家動員体制を復活させようとしていると感じた。 宣戦布告に等しい経済制裁 自衛隊派兵と平行して進むのが、武器禁輸三原則の見直しと「朝鮮経済制裁」である。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)への送金停止を狙った外為法改正法案が民主党の賛成を得て衆議院を通過した。自民党の有志議員でつくる「対北朝鮮外交カードを考える会」が議員立法をめざしている「万景峰92」号など朝鮮船舶の入港禁止を可能にする「特定外国船舶の入港の禁止に関する法案」も準備されている。 国連での決議もなしに経済制裁を加えるという脅しは、宣戦布告にも等しい挑発行為だ。一昨年9月の平壌共同宣言に違反する暴挙でもある。 朝鮮は今年に入って「核」問題だけでなく、「拉致」問題でも、膠着状況を打開しようとする姿勢を見せているのに、日本は「テロ」と「北朝鮮」の脅威を煽るばかりだ。 日本は禁治産者 1月27日の朝日新聞によると、自民党の安倍晋三幹事長が、米国追随の外交評論家の岡崎久彦氏との対談「この国を守る決意」(扶桑社)を出版した。このなかで安倍氏は、日本のイラク戦争支持などを例に、日米同盟強化に向けた「不断の努力」を訴えた。「権利はあるが行使はできない」という集団的自衛権についての政府の憲法解釈を「日本はいわば禁治産者なのか」と厳しく批判している。 首相の靖国神社参拝を巡っては「(1953年)、国会で戦犯の赦免に関する決議があった。名誉回復がなされ、罪がなかったことにした」と指摘。A級戦犯の合祀(ごうし)に問題はないとの認識を示した。 日本がアジア太平洋の二千万人の人々を死に至らしめてからまだ58年。日本はまさに仮釈放で保護観察処分を受けていると私は考えている。朝鮮など戦争被害国と歴史的な清算を終えていない日本は、まさに禁治産者として更生中なのだ。 川口順子外相は1月17日、同志社大学での講演で、国連常任理事国入りに意欲を示したが、外相は国連憲章(第53条など)で日本は今も、ドイツ、イタリアなどと共に、民主主義の「敵国」として規定されていることを忘却しているとしか思えない。国連憲章は、「敵国」と戦った憲章署名国に対して、「敵国による新たな侵略を防止するため」には、安保理決議なしに、強制行動をとることができると規定している。安倍幹事長の祖父であるA級戦犯、岸信介氏の戦争責任は現在も問われているのだ。(浅野健一、同志社大学教授) [朝鮮新報 2004.2.9] |