東京で伊藤孝司監督のビデオ「アリラン峠を越えて」上映会行う |
「戦後補償問題と北朝鮮の現実を知る会」の主催によるビデオ「アリラン峠を越えて」と講演の集いが昨年12月20日、東京都文京区で開かれ、62人の日本人が参加した。 ビデオ「アリラン峠を越えて」は、フォトジャーナリストの伊藤孝司氏が朝鮮に住む元「従軍慰安婦」の郭金女ハルモニの姿を追ったもので、45分の作品。ビデオは昨年5月に伊藤氏が咸鏡南道の端川市にある郭金女ハルモニの家を訪ねる場面から始まる。しかし、ハルモニは咸興の病院に入院しており、家族だけがいた。作品の前半は伊藤氏を歓待する家族の姿、端川市の街並みや市民の姿が意図的に長く映し出されていく。 伊藤氏は、「朝鮮の姿が日本では悪意をもってゆがめられ伝えられている。少しでも朝鮮や朝鮮の人々の普通の生活を知ってもらいたいと思って、郭ハルモニとは直接関係のない映像を多く挿入した」と語る。 端川から咸興の人民病院へ郭ハルモニを訪ねて行く伊藤氏。市の人民委員会の手厚い保護を受け入院生活を送るハルモニの姿が紹介され、そして日本軍の性奴隷とされた過去がハルモニの口から語られていく。 郭金女ハルモニは1924年生まれ。全羅南道光州の製糸工場で働いていた10代の時、日本の刑事らしき人物に「パンや飴を作るソウルの食品工場に行こう」とだまされて、中国に連れて行かれ、そのまま「従軍慰安婦」にされてしまう。「慰安所」に監禁されたハルモニはその後、何人もの日本兵にもてあそばれる。 2年が経ったある日、逃げようとして捕まった女性が拷問を受け、その1週間後に亡くなり、そのまま地下室に捨てられてしまう。「これでは自分も殺される」と思ったハルモニは逃亡を決意。幸運にも朝鮮人医師に助けられる。 ビデオの最後の場面、孫娘と一緒に「故郷の春」を歌う郭ハルモニが映し出される。何十年も昔に離れなければならなかった南の故郷を思い起こすように遠くを見つめるハルモニの姿が多くのことを観る者に語りかけている。 伊藤氏が郭金女ハルモニを初めて取材したのは1998年のことだ。その証言はブックレット「続・平壌からの告発」(風媒社発行)として2002年に発表された。ビデオとして新たに郭ハルモニを取り上げた理由について伊藤氏は次のように語る。 「活字だけでなくさまざまな形で日本軍の性奴隷被害者のことを日本社会に訴えたかった。郭ハルモニを取り上げたのは今も元気で証言できる人が郭ハルモニしかいなかったから。朝鮮の性奴隷被害者の中で名乗り出ているのは44人で、そのうちすでに27人が亡くなっている。彼女らは日本社会では忘れられた存在だが、朝鮮では地域社会のなかで大切にされている。そんな朝鮮社会の状況も広く日本の人たちに知ってもらいたかった」 タイトルの「アリラン峠を越えて」には、日本がいまだに過去の犯罪を認めず何の補償も行おうとしない現状のなか、被害者のハルモニたちがこれから越えていかなければならない峠はまだまだ多いという意味が込められている。 ビデオ上映の後、伊藤孝司氏によるスライド上映と講演が行われた。伊藤氏はこれまで12回にわたり朝鮮で取材を行い、2002年9月17日の平壌宣言以後も昨年5月と11月に2度朝鮮を訪れている。日本人として単独で朝鮮を取材できる唯一のジャーナリストだ。 講演では主に、平壌宣言以降の朝鮮側の戦後補償問題に対する考え、取り組みについて、日本のマスコミ報道の問題点について語られた。 昨年11月に朝鮮で朝鮮人強制連行被害者・遺族協会が結成されるなど、個人レベルでの戦後補償問題の取り組みが活発になっていることに言及しながら、「経済協力という形で戦後補償問題を終わらせようとする日本政府の考えはまちがっている。火種を残すだけだ。きちんとした補償が必ず必要」と強調する。 また、日本のマスコミによる朝鮮バッシングについて、「朝鮮のごく普通の生活を紹介しただけで、嫌がらせや脅迫が来る異常な状況にある。朝鮮を批判する報道しか認めない。朝鮮民族全体に対する排他を煽っている。過去の侵略に対する反省をきちっとしてこなかったことが根源にある」と語る。 最後に今後の朝・日関係について伊藤氏は、「長い歴史を踏まえて朝鮮と関わることが必要。具体的には何よりもまず国交正常化交渉を始めるしかない」と訴えた。(琴基徹記者) [朝鮮新報 2004.1.19] |