米の圧力で揺らいだ南 民族共助で北南問題解決を |
昨年に続き今年も進展していた北南関係。しかし、7月からはさまざまな当局間会談が中断、民間行事、交流も下火になった。金日成主席の10周忌に際した民間追悼団の訪北を南当局が阻んだことや、南への「脱北者」の大量入国、南朝鮮核問題などがその主な原因だ。 2、5月の2度にわたる閣僚級会談での合意に沿って、北南経済協力推進委員会の第8回会議と第9回会議が3月と6月にソウルと平壌で行われるなど、6月までの統一の雰囲気はこれまで以上に高まった。 とくに、6.15共同宣言発表4周年を機に双方が軍事境界線地域での宣伝手段を撤去し始めたことは、これまでにはなかったことだ。民間レベルでも大学生(3月、金剛山)、労働者(5月、平壌)、わが民族大会(6月、仁川)などが行われた。また、8月のアテネオリンピックでは前回のシドニーに続き北南の選手団が共同入場し、一つの民族であることをアピールした。
一方、4月に発生した龍川駅爆発事故と関連し南の当局や民間団体から多くの支援物資が送られた。 北と南は、日本の過去の清算問題でも足並みを揃えた。 北南の歴史学者が2月に平壌に集まり、「日本海」表記の不当性に関する北南討論会と日帝により略奪された文化財返還のための共同資料展示会、討論会を開催したことや、北南の団体が3.1民族自主宣言を共同で発表したことなどはその端的な例といえる。 一方、6月15日には盧武鉉大統領と金大中前大統領、北側代表団参加のもと、ソウルで6.15共同宣言発表4周年国際討論会が開催された。 このように発展していた北南関係は、南当局の行為によりすべて水泡に帰した。しかし、これまでの南当局の態度を見るとすでにその兆候は現れていた。 第13回閣僚級会談で北側は、「核問題」の進展水準に沿って北南関係を調節するという米国の不当な要求を一蹴できない南の態度を強く追及した。これに対する南の答えは、フォール・イーグル訓練と連合戦時増員演習など米国とともに北に反対する合同軍事演習の実施だった。 第14回閣僚級会談でも、北側は統一部関係者が北の政治体制を誹謗する行為を行ったことに触れながら、再発防止などの措置を促したが、南側は民間追悼団の訪北阻止という形で答えた。 もちろん、北南関係には米国が少なからず影響を与えている。米国は、年初から北南関係の進展速度を調節するよう南に求め、とくに開城工業地区建設に露骨に干渉し、南当局に圧力をかけた。 南当局が、このような米国の圧力に屈する形で統一問題の当事者、主人としての立場から後退したことにより、北南関係は遮断され、情勢はさらに悪化したのである。 教訓は、外部勢力との「共助」と民族共助は決して両立せず、民族共助の原則を貫いてこそ自主統一の活路を見出せるということだ。 こうした複雑な状況下、北は「当局は当局同士、民間は民間同士で共助」(労働新聞、10月30日付)しようとの立場を取っている。 また、北の主導で11月に金剛山で行われた北南、海外代表の接触では、6.15と8.15行事を北南で盛大に行うことなどで合意した。 これらの行事は民間で合意されたことだが、これを機に世論が高まり来年、統一運動で大きな進展があることが期待される。(姜イルク記者)終わり [朝鮮新報 2004.12.23] |