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「朝鮮半島を戦場にさせない! ’04女性のピースライン訪朝団」が平壌市などを訪問

各地から48人参加

 朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会・清水澄子代表を団長とする「朝鮮半島を戦場にさせない! 04女性のピースライン訪朝団」が8月26日から9月4日まで朝鮮民主主義人民共和国を訪問した。北海道、青森、秋田、福島、栃木、埼玉、東京、神奈川、千葉、富山、京都、大阪、兵庫、奈良、岡山、愛媛、高知、山口、福岡、長崎、佐賀、鹿児島などから48人が参加。

 訪朝団は、金日成主席の生家をはじめとする平壌市内を見学したほか、白頭山地区の革命史跡地、国土分断の傷跡が深く刻まれた軍事境界線、世界文化遺産に登録されたばかりの高句麗・徳興里壁画古墳などを訪れた。

 また、強制連行、従軍「慰安婦」、広島・長崎での被爆体験をもつ証言者たちを迎えてテーマ別分科会を開き、平壌市内の女性たちとともに「朝鮮の統一と朝・日国交正常化をめざす女性連帯集会」を開催した。

 そして、幼稚園、診療所、工場の見学、家庭訪問、平壌外国語大学(日本語科)の生徒たちとの交流を通じて朝鮮をより深く理解するよう努めた。

口汚い罵り

 8月26日、新潟出発に先立ち清水澄子団長は、「日朝関係が置かれている厳しい状況を、必ず打ち破らなければならない」と話していた。結団式が行われた新潟市内の某ホテル周辺では数台の街宣車が取り囲み「このホテルに清水澄子を泊めるな!」などと騒いでいた。ピースライン訪朝団を乗せた「万景峰92」号は、反共和国勢力の口汚い罵りの中、新潟中央埠頭を出港。海上保安庁の黒いタグボートが沖を出るまで帆走し、ヘリコプターが上空を旋回していた。

 参加者の約6割は今回初の訪朝となった。日本で与えられた朝鮮に対するイメージはきわめて悪いものばかり。これまで世界各国を旅してまわったという倉富登美榮さん(佐賀県神崎町議会議員)は、今回ばかりは息子たちに「お母さん、無事に生きて帰ってこれないかもしれないよ」と強く反対されたという。

子どもたちが歓迎

 元山では赤いネッカチーフを首に巻いた少年団員たちが歓迎曲を奏でる中、朝鮮対外文化連絡協会・洪善玉副委員長、李蓮花書記長が一行を温かく出迎えた。

 雨季を過ぎた朝鮮の山々には木々が青々と茂っていた。元山〜平壌間約200キロの道のりを物珍しそうに眺める中、山肌の至るところに植えられたトウモロコシや大豆畑は一行の目を引いた。「山で畑をやるのは大変。耕すと土が下の方へ落ちちゃうんだよ」と、田代瑞惠さん(東京)は、堆肥を背負って畑に出ていた幼い頃のことを思い出していた。

 宿泊先の普通江ホテル周辺は、柳並木に囲まれている。川のほとりには蓮池があり薄いピンク色の蓮の花が青々とした葉の間で顔をのぞかせていた。

 「きれいな所やね」と、朝の散歩を楽しむ西村敦子さん(京都)は話した。川の上にかけられたつり橋を渡っていると、遠くからガタンゴトンと電車の音が聞こえてきた。平壌市の平均的な出勤時間は朝8時。日が昇り、辺りが明るくなると人々の往来が目立ってくる。

まるで違う現実

 参加者らは朝鮮を訪問して、「日本で知らされていた状況とはまるで違う」現実に驚かされていた。ある参加者は「朝鮮には木もなく、食料もなく、人々は痩せこけて力なく歩いている」と思い込んでいた。

 そうしたマイナスイメージを抱いていた者は少なくないだろう。しかし、現在、国をあげて積極的な経済改革に取り組んでいる朝鮮の人々は活気にあふれ、子どもたちは街中を元気に走り回っていた。

 「朝の登校姿からして日本の学生たちとは全然違う」と話すのは重岡美穂さん(福岡県)。背筋をピンとのばし、本を片手にすたすたと歩く若者たちの姿がとても印象深かったという。牧野苓子さん(福岡県)も「若者たちの輝く瞳に明日への希望を見るようだった」と話す。自身の力で社会主義建設に励む人々の姿が深く心に刻まれたようだった。

 宮本弘子さん(大阪)は「人民軍といえば、いつも隊を成して戦闘準備をしている姿ばかりを想像していた。けれど、ここでは社会主義建設に熱心に励む若者たちだった。サーカスを見て笑い、トラックに乗って農村地帯を手伝いに行く若者たちをこの国の人々が大切にしていることがよくわかった」と話していた。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2004.9.10]