〈朝鮮法律家学会が独島問題で発表した白書〉 戦後、日本の主張の不当性 |
日本反動層は敗北後も、独島に対する侵略野望を捨てず、軍国主義の復活とともに独島強奪策動をさらに露骨に強行した。 戦後、日本反動層が「独島の領有権」を求めた「法律的論拠」の一つは、第2次世界大戦の末期とその直後に連合国が日本の戦後処理に関連して発表した宣言と覚書に日本の領土から独島を除外するという明文化された規定がないので、日本の「独島領有権」は敗戦後も引き続き維持されるというものである。 これは、白を黒と言う鉄面皮な主張である。 敗北した日本の将来問題に関連して連合国が発表した国際法文書としては「カイロ宣言」「ポツダム宣言」、連合国最高司令部の覚書などが挙げられる。 これらの文書は、第2次世界大戦で敗北した日本の領域を明白に規定している。 これらの文書には、1895年の日清戦争以降から第2次世界大戦で敗北する時まで日帝侵略者が強奪した植民地従属国と占領地域の領土を全部取り上げ、日本の領土を日清戦争以前の状態に制限させるのが基本目的の一つとして設定されている。 こうした目的から1943年11月27日に署名された「カイロ宣言」の朝鮮に関する条項では、「日本はまた、暴力および強要によって日本が略取したその他の地域から駆逐される。上記の3大国は朝鮮人民の奴隷状態に留意して適当な時期に朝鮮を自由独立させる決議をもつ」と指摘した。 この規定は、日帝侵略勢力を完全に追い出し、朝鮮を独立国に発展させるということである。 従って、日本が不法占領した朝鮮半島は言うまでもなく、その付属島のすべてを朝鮮人民に返すのは「カイロ宣言」の基本精神であり、要求である。 1945年7月26日に署名された「ポツダム宣言」の第8項でも、「カイロ宣言」の条項が履行されるべきだということを再確認し、「日本の主権は本州、北海道、九州および四国とわれわれが決定する小さな諸島に限られる」と規定した。 ここで言うその小さな諸島に対する範囲はその後、日本駐屯連合国最高司令部(GHQ)の覚書によって1946年1月29日と6月22日の2回にわたって確定され、日本政府に伝達された。 「日本の周辺地域を政治、行政上、日本から分離させることに関する覚書」と名づけられた1946年1月29日付のGHQの覚書第677号では、日本の4つの大島とその隣接の小島について具体的に明記し、わが国の鬱陵島、独島、済州島が日本の主権が及ぶ領土に属しない島であると明白に規定した。 また1946年6月22日、GHQは覚書第1033号を発表して日本漁船と船員の出漁禁止ラインを宣布し、日本船舶は独島水域に入ることはできないとした。 このように「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」、そしてGHQが発表した覚書はすべて、歴史的に朝鮮の固有領土として認められてきた独島の法的地位を国際的に再度明白に確認している。 しかし日本反動層は、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」が、連合国が一方的に発表した政策宣言であって法的文書ではなく、従ってこれらの文書が日本に法的拘束力を与えないとしている。 これは言語道断である。 上記の両宣言は、国際社会から認められたし、日本国家が受諾したものであり、法的拘束力のある国際公約として堂々たる地位を持つ。 「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」は、「ポツダム宣言の条項受諾に関する調書」「ポツダム宣言受諾の通告書」「日本降伏文書」など数回にわたる日本政府の公式受諾過程を通じて連合国の一方的な宣言ではなく、戦勝国と敗戦国の合意文書、日本の領土範囲を限定させる強力な拘束力を持つ国際条約規範となった。 従って、日本が自国の主権が行使される領土に独島を含めなかった「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」を公式に受諾したのは結局、日本自体が独島を日本の領土ではなく、朝鮮の島として公式に認めたということを示している。 実践的に日本の無条件降伏に続いて日本の領土確定問題は、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」に指摘されたとおりに実現され、日本は両宣言の要求どおりに日清戦争とそれ以降、中国から強奪した満州、台湾、膨湖諸島から駆逐され、日露戦争以後にロシアから奪ったサハリン南部地域とクリル列島の4島も全部旧ソ連に返還した。 こうした事実にもかかわらず、連合国が発表した宣言の法律的性格について問題視するのは、日本の戦後処理政策と方向を規定した条約規範としての宣言の法律的意義を弱め、何としても独島を強奪しようとする日本反動層の領土膨張野望の表現であって、何らの法的妥当性もないたわごとに過ぎない。 戦後、日本反動層が「独島の領有権」を求めて持ち出した「法律的論拠」のもう一つは、1951年9月8日に締結された「対日講和条約」の朝鮮領域規定に独島が入っていないということである。 日本が戦勝連合国と敗戦国である日本の間の第2次世界大戦終結を最終的に確認する条約文書だと宣伝する「対日講和条約」の第2章第2条(a)項には、「日本は朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島および鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限および請求権を放棄する」と規定されている。 日本は、この条項を根拠にして独島が朝鮮の島に規定されていないので当然、日本の島と見なすべきであると主張している。 しかし、この主張は国際法的原理に合わないき弁である。 国際条約は、条約の締結に参加し、また条約を認めた国家に限って適用され、その順守が求められるべきであるというのが国際法の一般要求である。 わが国は、「対日講和条約」の締結に参加しなかったし、認めたこともない。 従って、この「条約」がわれわれと日本の間の戦後処理問題を解決する法的基準になるはずはない。 元来、「対日講和条約」の締結の場には米帝の妨害策動によって日本に占領されてもっとも大きな人的、物的被害を受けたわが国をはじめ旧ソ連と中国、インド、ミャンマーなど当然参加すべき多くの交戦国が排除され、「対日講和条約」とは何の関係もない米国の追随国とかいらいが参加した。 結局、「条約」は名目上、講和条約の名称を帯びてはいるが、その規定内容には日帝から耐えられない苦痛と災難を被った数多くのアジア諸国の正当な要求が正しく反映されず、当然取り扱い、解決すべき多くの問題を未解決のまま残した。 それゆえわが国は、1951年9月15日の外務省声明を通じてこの「条約」の不法性を明らかにし、それを認めないと宣布した。 しかし、日本がわれわれが認めもしない「対日講和条約」の条文を持ち出して「独島の領有権」を主張する以上、その条文に関するわれわれの立場を明白にせざるを得ない。 朝鮮の領土範囲を取り扱った「対日講和条約」の第2章第2条(a)項には、済州島、巨文島と共に鬱陵島が指摘されている。 「条約」に規定された鬱陵島は、その付属島である独島まで包括しているという意味で解釈されるべきである。 それは、独島と一番近い大島が鬱陵島であり、独島と鬱陵島間の距離が独島ともっとも近い距離にある日本の沖島に比べてほぼ半分しかないからである。 小島をそれともっとも近い距離にある大島の付属島と認めるのは国際的慣例であり、日本も例外にならない。それは、日本が小笠原島から東に660マイル離れている南鳥島を小笠原島の付属島と見なし、日本の島として認めた事実からも良く分かる。それゆえ、朝鮮の島として表記されている「条約文」の鬱陵島には当然、その付属島まで含まれると見るべきである。 日本が「条約文」に島の名が明記されていないからといって、独島が朝鮮から除外されるというのは話にならない。 わが国には、「条約文」に列挙された済州島、巨文島、鬱陵島以外にも数多くの島がある。 日本の論理に従うなら、これらの島もすべて日本領だということになる。 これは、現実に対する否定であり、条約の解釈における無知だと言える。 元来、日本軍国主義者は「対日講和条約」の日本側「草案」というものを作り上げる際、独島が「日本の領土」であると書き入れた。 彼らのこうした陰険な策動は、日本反動政府が「対日講和条約」発表の20日前である1951年8月18日、「連合国と日本との平和条約草案」を発表する時、「竹島(独島)が依然として日本の領土」になっているとしたことから如実に現れている。 これは、日本軍国主義者が「対日講和条約」で独島が日本の「固有な領土」であることを既定の事実にし、この島を奪い取ろうとした狡猾な侵略策動であった。 これと共に日本反動層は、島根県の官吏をそそのかして1951年8月30日、島根県の名義で政府に「島根県領土である竹島の再確認について」という「陳情書」を提出するようにし、それを処理するという口実のもと、米国に「対日講和条約」で独島を「日本の島」にしてくれるよう哀願した。 米帝は、日本軍国主義者のこのような狡猾な策動に共感を表し、「対日講和条約」の米国側の「草案」に独島を「日本の領土」と表記した。 しかし、独島が歴史的に朝鮮の領土だという認識を持っていた英国をはじめ会議参加国の意見により、独島の日本領土表記は「条約」から削除された。 諸般の事実は、日本軍国主義者が「対日講和条約」によって独島が「日本の領土」になったという主張が荒唐なものであり、何の根拠もないということを物語っている。 上記のように、日本反動層が独島に対するわが国の領土的所属を否定し、それを「日本の島」にしようと持ち出している「論拠」はすべて歴史的には言うまでもなく、国際法的見地から見ても何の妥当性もない強盗の論理で一貫しており、自分らの独島強奪策動を合理化するためのき弁に過ぎない。 では、日本当局が歴史的見地や国際法的見地からすでにその不法性が明確に証明された「独島領有権」を引き続きうんぬんする理由はどこにあるのか。 独島に対する日本政府官吏の発言は決して彼らの国際法に対する無知や史料に対する理解上の錯誤によるものではなく、海外侵略でつづられた過去史を賛美し、20世紀に水泡に帰したアジアの「盟主」の夢を必ず実現しようとする時代錯誤の軍国主義海外膨張野望の集中的表現である。 朝鮮民主主義人民共和国法律家学会は、日本反動層の「独島領有権」主張を朝鮮民族の尊厳と自主権に対する極悪な冒とくと見なし、正義と平和、自主性を重んじるわが国のすべての法学者の名において厳しく糾弾する。 日本が過去の恥ずべき歴史の教訓を忘却し、愚かにも海外膨張の道を引き続き走るなら、朝鮮人民とアジア各国人民のより強力な糾弾と排撃を受け、自滅を促す結果だけをもたらすことになるであろう。 われわれは、祖国の神聖な領土である独島を日本と結びつけること自体を決して許さない。 [朝鮮新報 2004.2.16] |