「韓国外交の崇米事大癖」、南の元外務部関係者が「統一ニュース」に寄稿 |
在米同胞で、統一問題に携わるリ・ファルン氏は16日、南のインターネット新聞「統一ニュース」に「韓国外交の崇米事大癖」というタイトルで寄稿。外務部(現外交通商部)に勤めていた頃の経験に触れながら、南の対米追従外交の実情について語った。翻訳、紹介する。(翻訳=編集部) 1955年、5年間の軍隊生活を終え外務部に入って私が最初に驚いたのは、李承晩大統領に見せる重要な決済書類は英文で作成しなければならないという事実だった。大統領夫人のフランチェスカ女史(米国人)があらかじめ内容を検討しなければならなかったからだ。 その頃、ソウル駐在の米国大使は主に大統領と話し、外務長官は米国の公使や参事官の相手役だった。新たに赴任する外国大使を空港で迎えるのは儀典長の仕事だったが、米国大使の場合は外務長官が赴くのが韓国での慣例だった。 1958年に私は、韓国代表団の末席に加わり、ある国際会議に参加したことがある。その時の首席代表C氏と次席代表P氏が、それぞれ議題別にわが代表団が取るべき立場を検討した後、「米国代表団の動静を注視して、彼らが挙手をしたらわれわれも挙手するようにしよう」との結論を下したのを見て、苦笑するしかなかった記憶が今でも生々しく残っている。 当時の韓国は、国自体が米国の後ろ盾によって建てられ米国の力で生きながらえていたので、韓国の外交が崇米事大の一辺倒にひた走るのはある意味当然のことだったのかもしれない。しかし、こうした傾向がだんだん習癖として発展し、「外交とは米国に依存さえすればいい簡単なもの」という概念が外交官のみならず政治家や一般国民の間にもまん延していった。 そのせいか、1961年の5.16軍事反乱で政権を奪取した朴正熙将軍は、米国にかぶれ、二言三言の英語を話し、洋食のマナーを知り、西洋のダンスを踊れる軍人を大挙、外交官として起用した。そして、出世することしか頭にない職業外交官が軍出身の親米外交官の手足となり、崇米事大は韓国の外交にとって一つの金科玉条として固まっていった。 今回、自主外交論と崇米事大外交論の葛藤により、尹永寛外交通商部長官が更迭された。この人事の内幕と真相がすべて明かされていない現在、彼の過ちについてどうこう言う考えはない。しかし、尹長官が離任の辞で「私たちはこれまで韓米同盟を通じて平和を達成してきた」「平和体制を構築するためには、米国との関係は有用な手段」と強調する一方、対米依存の外交姿勢に固執しながら、盧武鉉大統領の自主外交方針をけなした外交部職員の考えは99%正しかったと強調した事実には驚きを禁じえない。これは韓国の崇米事大的な事なかれ外交の根がどれだけ深いかを実感させる事件である。 「私たちはこれまで韓米同盟を通じて平和を達成してきた」という尹長官の朝鮮半島情勢に対する判断は、崇米事大の外交路線をひ護する典型的なパターンである。彼はこの50年間の朝鮮半島における分断状態を「平和が達成された状態」と見ている。彼にとって分断状態は正常な状態であり、したがってそのまま維持すべき状態だ。だからこそ彼は、この状態を作り出し、また維持する力の主体である米国への依存関係を大切にしなければならないと主張したと考えられる。 しかし、1945年からこんにちまで続いている朝鮮半島の分断状態は、そのまま維持されるべき正常な状態ではない。それは、「いつか」ではなく「できるだけ早く」、統一した状態に変えるべき不正常な状態である。もちろん、6.25戦争や南北間すべての衝突と葛藤、その結果生じたあらゆる苦痛と苦悩はすべて分断という不正常な状態に起因するものである。したがって統一されるまでは根本的に解決できない問題である。このような状態を「平和が達成された状態」と見る尹長官の現実認識には重大な問題点がある。 韓半島の現状は、第2次世界大戦の終結により日帝の植民支配から解放されたわが民族が米国の介入によって南北に分断され、過去数百年にわたって追い求めてきた自主、平等、近代化および市民的自由などの価値を自律的に実現する機会がはく奪され、そのことによる矛盾を打破しようと半世紀の間身もだえしてきた状態である。このような不正常な状態を一日でも早く正常な状態に回復することは、わが民族の至上課題である。政治、経済、軍事、教育などすべてがそうでなければならないが、特に外交は民族の至上課題である統一を実現することに焦点を合わせなければならない。分断を引き延ばす外交ではなく、統一を前倒しする外交をしなければならないということだ。 統一のための外交がなすべき第1の課題は、朝鮮半島での停戦体制を平和体制に転換することで、統一を実現できる政治環境を作り出すことだ。韓国軍の米軍指揮体系からの完全独立、南、北、米3者間による軍縮、「北を敵とみなす米軍」の南からの撤退、なども重要な課題だ。また、現在戦争にまで拡大するおそれがある北核問題の平和的解決のために、北に対してのみ核兵器開発計画の放棄を求めるのではなく、米国に対しても北の体制安全を確実に保障し、北の経済発展を妨げるすべての制裁措置を迅速に解除することを強く求めるべきだろう。 統一外交は米国の立場と相反するもので衝突せざるを得ない。なぜなら、米国は朝鮮半島分断の長期化こそ、自国の利益になると考えているからだ。そのため韓国の外交は、朝鮮半島の統一が米国の利益と相反するものにならないような理論と方案を模索して発展させなければならず、またこの方案に米国が納得し受諾せざるを得ないようすべての力を注がなければならない。しかしこれは、反米をしなければならないということではない。韓国の正当な要求を合理的に説明し、理解と支持を促す努力を地道に続けなければならないということだ。 イラク派兵問題にしてもそうだ。米国のイラク侵攻が国連の承認なしに敢行された点、イラク内での反米暴動の激化により情勢が険悪という点、憲法が侵略的戦争を否認している点、そして国内の反対世論が強い点をあげ、戦闘兵の派兵はできないということを論理立てて説明して拒絶すればよかったのだ。しかし、自主よりは同盟が生きる道であり国益だとの窮屈な口実を作って派兵を決定したことにより、米国の侵略行為の尻拭いをするという醜態をさらしてしまった。 外交とは、国や民族が政治、経済、軍事、社会、技術、文化などあらゆる領域での総力をもっとも効果的かつ集約的に傾注することで、国際社会での地位を高める努力である。そのためには、自主だけでは駄目であり同盟だけ追求しても駄目なのだ。いわば自主と同盟をバランスよく両立させ調和させるとても精巧な芸術のようなものだ。とはいえ自主は「主」に、同盟は「従」の立場に立つべきなのである。 [朝鮮新報 2004.1.29] |