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〈投稿〉 触れ合う愛と心の尊さ

 3月22日にわが南武朝鮮初級学校の第55回目の卒業式があった。4人の孫たちがこの学校に通っているが、一番上の孫、孫煕久がめでたく卒業する。

 はじめて迎える初孫の卒業式とあって、わが家は朝から緊張気味、いつもよりみな早く起き、急いで学校に向かう。式場にはいると「南武朝鮮初級学校第55期卒業式」と大書した、太い横幕がひときわ目を引く。

先生、父母、子どもたちみなが感動した卒業式

 そうだ!! あれからもう55年もたったのだ。もうそんなに長い月日が!! そう思った瞬間、戦後の混沌としたあわただしいなか、生活の苦しみも顧みず、みな、金と知恵を集めて、この学校を溝の口の駅前の良いところを選んで建ててくれた、愛国的な1世たちの顔が走馬燈のように頭の中に浮かんでくる。

 その中には、うちの孫たちの今はなき外曽祖ハラボジの任正明氏や、一緒に仕事をしていた大人たち、当時の粗末な木造校舎、そしてはしゃぐ子供たちの姿も見えてくるのだ。

 式は荘厳な愛国歌の斉唱につづき、卒業証書授与のための、担任の先生の生徒への指名で始まった。ところがどうしたことだろう。先生の声が詰まって聞こえないのである。最初の一番目の子までは、どうやら呼び込めたようだったが、2人目からは、いよいよ声がうるんで震えているようだ。かわいい真っ盛りのわが愛する教え子を、いざ手放そうとしたら、急に胸が詰まってきたのであろうか?

 瞬間、私の目にも熱いものが込み上げてきた。あたりもみな、息を呑んでしんとして静まりかえる。隣の席では、母親たちの咽び泣きさえ聞こえてくるようだ。

 何と美しい場面であろう。先生の涙が子供たちの涙を誘い、それがまた学父母たちの目頭を熱くしている。涙と心が大きく触れ合っているのだ。一瞬、私はウリハッキョだけに見る愛に満ちた教育の気高さに、大きな感動を覚えた。

 次にひどく感激したのは、6人しかいない少人数学級で、何とその2人までがそろって「6年間皆勤賞」をもらっていたことである。

 通知票を見ると、年間授業日数がみな220日を下っていない。単純に計算してみても、6年間で、実に1320日以上という気の遠くなるような時間だ。この間、無遅刻、無欠席とは? 幼い子どもたちのことだから、なおさら辛く、ひどく朝は眠くもあったろうに、しかしこの子たちは、親の努力とその強い愛情に支えられて、この6年間を厳しい寒さにも、暑さにもめげず、学校へ通いとおしたのだ。偉い。

 母と2人して、地域の女性同盟委員長からも記念品を受ける。万雷の拍手が鳴り止まない。私は、密かに心の中で思った。「若き母子らよ。あなたたちは偉い。そして強かった。その姿が、わが民族教育のそのままの歴史なのだ」と。

 話はつづくが、後から聞いてさらにびっくりした事がある。先生を囲んでの謝恩会が盛り上がった頃、卒業するこの子たちが、みな自分の親に向かって丁寧なお辞儀をし、立派なウリマルで「アボジ、オモニ、6年間本当にコマッスムニダ」と心を込めてのあいさつの言葉がそれぞれあったとのことである。

 そしてこれを聞いた親たちは、初めて見るわが子の成長と報われた喜び、そして、そのかわいさに涙したとのことであった。何とこれまた、感動的な物語であろう。なぜなら、今どき世間では「不登校」「学級崩壊」などと騒がれているのに、ウリハッキョでは、なんと立派に学校と家庭の間が、これほどしっかりつながっているのかと、いまさらのように思われたからである。

 家に帰ってみると、卒業したばかりの孫が、「卒業文集」(われらは統一世代)を見せてくれた。表紙に6人の似顔絵も写っていて、立派な装丁だ。それぞれの子どもたちの作文に、6年に進級したばかりの時の決意などもでていて、読んでいて飽きない。作文は、ウリマルと日本語で2通りずつ載っていたが、これまた個性的で感情も豊かなうえに文章力もある。

 そればかりではない。この学校は、全国的に行われていた学力試験や、文部科学省がやっている漢字テストなどでも常に上位。美術、芸能公演、サッカーなどの課外活動でもよい成績を上げ続けて知名度も高く、有名校で知られている。70人そこそこの少人数学校であるにもかかわらずである。

 今日もこの子らの、かん高く明るくて澄んだ声を聞きながら、まさに彼らこそ「統一世代」であることを実感する。

 思えば55年間のウリ南武ハッキョの歴史は重い。内外の厳しい情勢の中で生徒数は減ったが、ここに咲き誇るこの子らの花は、不滅であり、いかなる勢力も民族教育の志向を押し曲げることはできないのだ。

 その後、アメリカのアトランタに在住している姪に出会った。彼女はそこで教会の援助を受けながら、韓国語学校の校長をしている。久しぶりに民族教育について語り合ったが、ウリマルを守る闘いは、ここでも盛んで頼もしかった。

 こうした思いも込めて、私は初孫の担任であった成明美先生を通じて、南武のハッキョの先生方に感謝の手紙を送った。そしたら間もなく次のような返信が届いた。

 「私たちは、教員として当然な事をしたにもかかわらず、たいへんなお誉めのあいさつをいただき恐縮至極です。よい子供たちとの出会いは、学父母そして祖父母との人生の貴重な出会いともなり、その中で触れ合う愛と心の尊さを、いまさらのように感じました。教職にある者として、何て私たちは幸福でしょう。がんばります」

 立派な考えである。私は、何回もこの文面を読み返している。そして思う。「ウリハッキョに栄えあれ」と。(孫済河、神奈川県在住)

[朝鮮新報 2004.5.29]