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〈朝鮮大学校外国語学部語学研修に参加して〉 視野広がった4週間

 朝大外国語学部では、01年から3年次に約1カ月の海外語学研修を行っている。昨年は33人が参加した。研修期間は4週間。3週間、イギリス人家庭に1人ずつホームステイし、オックスフォード、ケンブリッジの2大学園都市内の計6校の語学学校に分散入学した。午前中は授業を受け、午後は各自が図書館へ通ったり、個別指導を受けるなどした。放課後や週末はロンドンをはじめ国内を観光。大英博物館、ナショナルギャラリーをはじめ世界的に有名な博物館や美術館などを見学。ロンドンウェストエンドで本場のミュージカルや映画も堪能した。

 2都市に分散していた学生たちは9月13日にロンドンに集合。テームズ川をボートで下り、ロンドン南東部のテームズ川岸にある町、グリニッジを見学。町の高台にあるグリニッジ天文台は1884年本初子午線に指定され、地球の経度、時刻の原点になっている。

 3週間の語学研修後、グループ別にイタリア、フランス、スペインなどを観光した。第2外国語を選択している学生たちにとっては、生のフランス語やスペイン語に接する絶好の機会でもあった。

 研修期間は今まで蓄積(input)してきた英語力を発揮(output)する機会だった。全期間を通じて、学生たちは世界を見る視野を広げ、いろんな角度から物事を見る力をつけた。文化や習慣の違いなどからさまざまなハプニングに見舞われることもあったが、それらもすべて貴重な体験となった。

 異国である日本からさらに異国であるイギリスに行き生活する過程で、在日朝鮮人3、4世として、民族意識を高めアイデンティティーを確立する「自己発見」の期間でもあった。ヨーロッパやアジア各国の友人たちとの交流を通じて、年齢に関係なく自己主張をはっきりするという文化をかいま見た。

在日の立場、あらためて考える

 昨年9月7日早朝5時30分。

 緊張感とうれしさに満ちた、少し眠そうな目の朝大外国語学部3年生一同は、期待と不安がいっぱい詰まった4週間のイギリス研修行きのバスに乗り込んだ。

 海外旅行自体が初めての私にとって、成田空港からのすべての経験が新鮮だった。ロンドンからはオックスフォードとケンブリッジの各大学都市の2組に分かれた。私が滞在したケンブリッジは自然の多い、いわば田舎町だ。どこにでも自転車で行ける生活、広くて居心地のよい初めての1人部屋、時が経つのも忘れられるのどかな公園、すべて気に入った。

 一番緊張したのは、友人たちと分かれて1人でタクシーに乗りホストファミリーの家に向かった時だ。ホストファミリーは60代の明るく優しい夫妻で、18歳のスイス人留学生と猫1匹も一緒に迎えてくれた。体の大きさとつりあった心の広さが感じられる初老の夫婦はいつも親切で、すでに4カ国語が話せるホストメイトとも、互いの国についていろいろ楽しく話した。

 もちろん、研修の一番の目的である勉強面も充実していた。当然のことだが、授業でもホームステイ先でもテレビも英語だけなので、初心に戻って基礎をしっかり身につけるよう努力した。

 同級生5人と通った学校は、外国人留学生だけのこじんまりした語学学校だった。ほかの国からの学生はとても積極的で自信を持って意見を述べ、自国のことをアピールする。しかし、日本人と在日朝鮮人は消極的で少し自信がないようだという印象を持った。

 英語以外に大きく2つの事を学んだ。

 1つは、今までの自分の世界があまりにも狭かったということ。朝鮮についても日本についても何となく知っているくらいで、在日同胞社会についても知らない部分が多い。「温室育ち」の一人である私の世界は、朝大の中だけだった気がする。朝大では会合や時事学習で時間が過ぎる。知らず知らずのうちに受身になってしまい、積極性に欠けてしまったようだ。

 なぜ英語を学ぶのか、初心に戻って考えてみた。他の国と自国について、英語を使って互いに理解し合うためではないか。この4週間、英語力についても考えたが、それと同じくらいまず自分を知ってアピールできる必要性についても考える良い機会だった。欧州でもやはり朝鮮についてあまり良い印象を持っていなかったり、まったく知らない人が少なくなかった。

 2つ目は、語学学校で「韓国」の青年たちと親しくなったこと。同じ20歳前後の6人のグループ、28歳の男性と仲良くなった。6人とはクラスもほぼ同じで、休みの時間を利用して楽しく過ごしたり、研修終了前々夜には、パブでおしゃべりやゲームを楽しんだ。故郷が同じ慶尚道ということで、夏にでも遊びにおいでと言われた。今はまだ行けないけど、近い将来、必ず行くことを約束してメールアドレスを交換した。

 28歳の男性とは統一問題や情勢について何度も討論した。統一はすぐには来ないとさらりと言ってしまう彼ら。半世紀の時代のはかなさと分断の悲劇を感じた。しかし、それ以上に、同じ言葉を使い同じ過去の痛みを共有できる私たちは、やはり同じ民族で血を分け合った兄弟であることを確信した。

 6.15共同宣言発表直後、祖国を訪問した際に作った「私たちは統一世代!」というスローガンが頭に浮かんだ。

 イギリス研修を通して、日本にいた時はばく然としか考えなかった在日朝鮮人としての立場、交流を交わすことの大切さをあらためて考えることができた。外国について学んでいるつもりが、結局自分のことについて考え、再発見する過程になった。(李春伊)

北南、朝・日のかけ橋に

 昨年8月中旬から9月下旬まで、語学研修のためイギリスに滞在した。

 外国語学部による海外語学研修は今回で3回目となる。普段おとなしい方で積極性に欠ける私は、今回の海外研修を自分の殻から抜け出すチャンスと思い、クラスのみんなより3週間早く現地に行くことにした。

 機中、胸は期待と不安ではちきれんばかりで、せっかくの窓からの景色も何の感動も与えてくれなかった。ホームステイ先はどんな所だろう、18歳の息子はカッコいいかな、言葉が通じなかったらどうしよう、パスポートはどこにしまったっけ…。

 ヒースロー空港に着いた途端、英語ばかりが目に映り、耳に聞こえてくる。こんな当たり前のことにいちいち感動しながら、タクシーに乗り込みロンドンのホームステイ先へと向かった。途中、多少緊張気味の私にタクシーのドライバーが陽気に話しかけてくれたが、早くて聞き取れない。ここに来て初めて、イギリスという異国が、私の前に険しい山のように高くそびえ立った。

 そんなショックを受けた初日から数日が経ち、ホームステイや語学学校にも慣れ、イギリスの事も落ち着いて見られるようになった。ロンドンの家は見た目には小さいが奥行きがあり、どの家にも必ずと言っていいほど丹精込めたガーデンがある。どちらかと言えば控えめな人が多く細かい点にもよく気がつく。

 ある日の授業で、国の文化や歴史を他国の人に教えて、さまざまな違いを話し合う機会があった。他国の人々は自分たち自身をよく知っており、歴史や文化、風習などを細かく説明できるにもかかわらず、私は祖国の事はおろか、朝鮮人であるのになぜ日本に住んでいるのかすらも、ろくに説明できなかった。その原因は英語能力の低さや、他国の人々の在日朝鮮人に対する知識の乏しさにあるのかもしれない。

 しかし、最も大きな理由は、私自身がこれまで祖国や民族、自分たちの歴史について深く考えてこなかった事がある。いや、自分にとって切り離せない問題と知りつつ、わざと目をそらしてきたのだ。

 民族教育を受けて15年になるが、ずっと悩み続けていた問題がある。私にとって故郷はどこなのかという悩みだ。一言で故郷と言っても、日本で生まれ育った私にとって、故郷を決める選択肢は3つある。祖父の故郷である慶尚南道なのか、祖国である朝鮮か、それとも生まれ育った京都なのか。もちろん、朝鮮や慶尚南道と言いたいところだが、そこで生まれ育ったわけでも、住まいがあるわけでもない。とは言え、京都といっても何か違和感を覚える。

 そんな私の迷いを知ってか知らずか、語学学校で同じクラスの「韓国」の友達は私にこう言ってくれた。

 「自分は南に住んでいるから北のことはまったくわからないし、北にいる人々も南についてよく知らないだろう。しかし、海外に住むあなたたちは両方の情報や知識を得ることができる。それはとても有利だ」

 この言葉を聞いて少しわだかまりが解けていく気がした。私は朝鮮籍を持つ在日朝鮮人であり、北南の、そして朝・日のかけ橋になれる存在なのだ。

 この語学研修を通じて英語能力が上達したのはもちろん、世界を見る視野が少しばかり広がり、物事をさまざまな視点から見られるようになった。また、朝鮮人として日本という異国に生まれた事実を、歴史の流れの中で生じた不幸と悲観せず、北と南を結び、朝鮮半島と日本を結ぶかけ橋としての可能性として考えられるまでに成長した。

 それを実行するにはまず、自分自身の水準を高めることが要求される。外国語の勉強も重要だが、それを学ぶにあたって基本となる母国語である朝鮮語、居住地の言語である日本語をまず追求すべきだと思う。とは言え語学はあくまでもツール。それをどう有効に使うかが大切である。

 大学生活も残りわずかだが、専攻能力を高めるのと同時に、私は何者でどういう存在なのか、何をしなければならないのかを考えていきたい。(朴良希)

[朝鮮新報 2004.1.26]