〈新潟県中越地震〉 被災同胞とのふれあいの中でB |
栃尾市 同胞の夫亡くし1人生活−金本トシさん 新潟県栃尾市。地震後、訪れた際には町並みはすでに落ち着きを取り戻していた。しかし、話を聞くとほとんどの家で物が床に落ちるなど、一部損壊の被害にあったという。
金本トシさん(82)は、13年前に在日同胞の夫を亡くし、この街で一人暮らしをしている。年金がもらえず、息子からの送金で生計を立てている。 金本さんは当時の様子をこう語る。 「部屋で寝ていたら下から突き上げられるような形で棚から食器類がどんどん落ちてきた。びっくりして起き上がったら、もう家の中がぐちゃぐちゃで息つく暇もなかった」。 総連新潟県本部でも一人暮らしの金本さんの消息が気がかりだった。 地震後、道路が遮断され、現場に行く事はできなかったが、数日後、女性同盟の張学順委員長が駆けつけ無事でいることを確認した。 「今は本当に大丈夫ですよ。こうやって元気にしてますから」と笑顔を見せた。 今では、近所の人や新潟朝鮮初中級学校で教員をしている孫娘の金載香さん(23)に手伝ってもらい、家の中も片付いた。「わざわざこんな所まできてくれて、本当にうれしいよ」 23歳で結婚し、50年近く同市に住んでいる。夫がこの地でパチンコ店を営み息子も一緒に手伝った。金本さんは長岡市で15年ほどスナックを経営した。夜の仕事が終わると、栃尾に戻って家族の世話をする、そんな日々が続いた。結婚当初は、闇米やドブロクなどを売って生活をしのいできたという。 「苦労ですか? 苦労はつきもんだけど、そんなにしたって思いはないですよ。夫がなんでもする人だったから」 金本さんは自分の夫のことを「1世の朝鮮人そのもの」と言い切る。 「夫は総連の会合にもよく参加していた。『祖国統一』を願っていた人だった。子どもや孫たちにも、朝鮮人としてしっかり生きることを望んでいた」 金本さん自身、女性同盟の集まりにもよく参加し、朝鮮語を習ったりもした。 県内の離れた場所に住む孫の一人が金載香さん。金さんは震災後、心配になってすぐに駆けつけた。 「載香が遠い新潟市内の学校に行くのが寂しくてね。家の整理をしに来てくれた時、本当に立派になっていてびっくりした。孫の成長をみるとやっぱりうれしい」 地震が起こった時の恐怖はどれほどだっただろう。しかし、そんな素振りを全く見せず明るく話す金本さんの姿に、1世同胞のような力強さを垣間見た。 「今はとにかく平穏です。心配してくれる気持ちがとてもうれしい。本当にありがとう」(金明c記者=つづく) [朝鮮新報 2004.11.26] |