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被災地同胞の温かい心

 10月23日。翌日に新潟朝鮮初中級学校で開催予定だった日朝友好「ミレフェスティバル」の事前取材のため、現場にいた。それが終わり、ホテルに戻ると同時に地震にあった。

 新潟県中越地震。高級部の頃、体験した95年の阪神大震災が頭をよぎった。目に焼きついた惨状…。当時、被災地同胞らのために募金をしたり物資を送ったりしたが、現場での支援には携われなかった。

 本社に電話をかけても通じず、時間が経つにつれテレビが悲惨な状況をどんどん伝えていった。

 「現場に出て同胞の安否を伝えないと…それが自分の仕事だ」。そう言い聞かせ、次の日から新潟に残って取材を続けた。川口町、小千谷市、十日町市、長岡市などの被災地でたくさんの同胞たちと出会った。

 現場に向かった当初は、悲惨な惨状を目にしてとまどうことが多かった。

 「こんな非常事態にどうやってカメラを向けて取材すればいいんだ…」

 そんな心配をよそに同胞たちは、いきなりの取材にも関わらず、ていねいに受け答えしてくれた。家屋が全壊した川口町の李相烈さん、小千谷市の朴太鉉さんなど、いつ通常の生活に戻れるのかわからない不安な状況の中、笑顔で取材に応じてくれるその温かい気持ちに目頭が熱くなった。

 川口町のボランティアセンターで話を聞いた。関西からきたボランティアが多く、口々に「他人事とは思えない」。物見遊山で来る無神経なボランティアもごく一部だがいる。倒壊家屋の前で記念撮影をしたり、平気で被災者にカメラを向けたりする人もいたそうだ。

 被災同胞を支援する朝青ボランティアの姿に「本当なら自分も…」という気持ちになったが、今では現場の状況を伝えることができてよかったと感じている。そう思ったのは朴さんの笑顔の一言だった。「こうやって話をするだけで本当に心が安らぐんですよ」。(c)

[朝鮮新報 2004.11.16]