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南のいろいろな人たち

 南での「国家保安法」の廃止論議を見ながら、6.15共同宣言発表4周年に際して、仁川で行われた「わが民族大会」を取材した時のことを思い出した。

 「私は非転向長期囚だ。本当は北の故郷に帰れるはずだったのに、南当局に帰還リストからはずされここで暮らしている」。大会に参加していたある老人はこのように話しながら、北の人たちと会えてうれしいと手を握ってくれた。

 一方、最終日の歓送会で同席したある工場の労組の委員長は80年代、労組を組織しようとして安全企画部(現国家情報院)に逮捕、山奥で顔を除くすべてを埋められ、「労組を組織しないのならここから出してやる。それが嫌なら、ここに残るがいい」と強迫されたそうだ。

 しかし、彼は「ここで死ぬことがあっても労組は必ず組織する」と言い、そのまま置き去りにされたが、自力で何とか脱出し現在も労働運動の先頭に立っているという。

 日本では想像もできない経験をしてきた人たちだが、一見したところでは、ごく普通の人と変わらない。宴会の席でもとてもフレンドリーで、「せっかく北の人と会えたんだから、爆弾酒(焼酎とビールをミックスしたもの)を一気でやろう!」と大いに盛り上がった。

 しかし、いろいろと話しながら感じるのは、彼らは一様に芯がとても強いということ。このような人たちの地道な運動によって、南の社会が少しずつ民主的になってきたということを痛感した。

 南当局はこれまで、民主的人士が北の人と接触することを極力避けてきた。現在もそれに変わりはないが、統一行事の代表の中に前述のような人たちが含まれていたのは、南の世論がそれを強く求めていることの反映なのではないか。

 そう思うと、統一はすぐ近くにまでやってきているということをあらためて感じる。(松)

[朝鮮新報 2004.10.26]