ウリマルで交流できる場を |
「日本語でお願いできますか」 取材先で、たまにこう言われることがある。 日本学校出身者なのかと思い、日本語で取材しなおすのだが、話をしていくうちに「実は朝鮮学校出身」という場合が結構あった。やはり言葉というのは使わないと忘れてしまう。 日本社会で出自を隠さず、さまざまな分野で民族をアピールし、活躍している在日同胞は少なくない。近年、そういう場が以前よりも増えてきていることに喜びを感じる反面、ウリマルを使う機会が少なくなってきているのではないかと危機意識を持つ。 ある知人からこんな話を聞いたことがある。 日本学校出身の在日同胞が南に住む親せきに会いに行った際のこと。言葉ができないためコミュニケーションがままならず、「母国の言葉を知らないことは恥ずかしい」と痛切に感じ、それ以来、その同胞は母国語を身に付けるために教室に通い始めたそうだ。 総聯大阪・西支部の此花分会が主催するウリマル講座を取材した際には、母国語を知らなかった同胞たちが、それを習得する過程で、あらためて民族を自覚するようになったということを聞いた。 同講座の徐相亀事務長は、「解放後、1世たちが設立した国語講習所を、現在の状況に合った新しい形にして増やしていかなければならない。言葉は民族の魂。パターン化されたものではなく、趣向を凝らした内容で教えられる場を提供していきたい」と語っていた。 同講座は学びの場であると同時に、互いに面識がなかった同胞と日本人らが、ウリマルを通じて友好を築く場にもなっているという。 こうした場の大切さを再確認するとともに、私たち3、4世もまた、あとを継いで交流の場を設けていくなどして、ウリマルをずっと守っていかなければならないと強く感じた。(良) [朝鮮新報 2004.10.20] |