「誘致形式」に一考の価値 |
8月末から9月上旬にかけて、各地で開催された在日朝鮮学生中央体育大会を取材した。生徒の熱戦を取材する過程で多くの教員、父母たちにも話を聞いた。 中でも多かったのは「何もここでやらなくても」という意見だった。 「中央大会」と言えば「駒沢」。メイン会場は大会期間中、生徒、教員、父母らでにぎわい、開会式では各校が「入場行進」を競い合うというのが恒例だった。だが、それも遠い過去の話になってしまった。 高級部のサッカー、ラグビーなどは、他県の設備の整った会場で行われた。選手権の予選などが重なり、日時も違った。バレーボールや卓球、空手、ボクシングも他の会場。選手が多いため中級部の柔道は大阪で行われた。 地方の学校は、生徒一人を「駒沢」に送るのに数万円かかる。それでも学校や父母らは「子どもたちの夢と想い出のため」と苦労をいとわない。だが、厳しいのも事実。近くで開催してほしいと望むのは当然だ。 地方の教員や同胞の中には「うちの県でやりたい」「競技ごとに持ち回りですれば」と言う人もいた。 オリンピックやワールドカップといったスポーツ大会のほとんどは、「誘致形式」をとっている。「やりたい所が手を挙げる」。認められれば、国力のアピール、経済の活性化、インフラ整備、国民の国際意識の向上などが見込まれる。 これを「中央大会」に単純に当てはめれば、プラスになることもあると思う。 誘致した地域では、朝鮮学校に対する注目度が上がる。遠くて応援にも行けなかった父母らも足を運べる。 実際に誘致する地域は大変だが、「子どもたちのため」と協力してくれる人も必ずいる。「一生懸命に走り回る子どもたちの姿を見ると、苦労も吹っ飛ぶ」(ある選手のアボジ)。 一考の価値はありそうだ。(泰) [朝鮮新報 2004.10.12] |