米海軍の艦砲射撃で死亡した強制連行朝鮮人労働者3人の遺骨、北海道室蘭市の光昭寺に安置 |
第2次世界大戦中、北海道室蘭市の新日鉄室蘭製鉄所(当時は日本製鉄輪西製鉄所)に強制連行され、米海軍の艦砲射撃を受けて死亡した朝鮮人労働者たちの遺骨が市内の光昭寺に安置されている。その身元が59年ぶりにわかり、6月21日、取材で訪れた南のMBC放送や道内の関係者らに、遺品とともに公開された。遺骨は、「具然錫=慶尚南道泗川郡」「松田芳夫=慶尚南道河東郡」「朝本延基=慶尚南道河東郡」の3氏のもの。MBCと光昭寺の橋渡しをした総聯北海道本部の蔡鴻哲副委員長(胆振日高支部委員長兼)は、「過去は『過去』ではなく、『現在』として存在し続けているということを実感した。いまだ放置されたままの強制連行者の遺骨調査を、全道規模で再度試みる必要性を感じた」。 途中で途絶えた記録
今回の身元調査は、朝鮮人強制連行真相調査団が2000年、日本外務省の「太平洋戦争終結による旧日本国籍人の保護引揚関係、朝鮮人関係、遺骨送還関係」のマイクロフィルム約1万枚の中から見つけ出した関連資料を北海道フォーラムに提供し、事実調査とMBCの取材協力を併せて要請したことがきっかけになった。 同フォーラムは、遺骨問題の解決を目指し、03年に立ち上げられた。総聯、民団、本願寺派住職、キリスト教牧師、中国華僑総会の5人が共同代表を務める。 1945年7月15日、米軍の艦砲射撃で日鉄輪西の従業員ら182人が死亡した。この時に5人の朝鮮人も犠牲になった。
すでに北海道庁が発行した「北海道と朝鮮人労働者−朝鮮人強制連行実態調査報告書」(99年)に、5人が犠牲となった事実は記載されていたが、遺骨がどうなったのかについては明らかにされていなかった。 また、日本外務省の資料によると、63年に具さんのアボジ、聖祖さんが当時の池田勇人首相あてに、息子の死亡経緯の詳細を調べ遺骨の引き渡し方法や賠償金を決めるよう求めた陳情書を送っていたことが明らかになっている。 当時の東京韓国代表部も外務省に調査を依頼していたこと、64年に外務省が遺族に賠償金を拒否する一方、遺骨返還は「早急に在日韓国代表部と協議する」と連絡していたことなども記されていたが、記録は途中で途絶えていた。その理由についてはいまだ明らかにされていない。
こうした資料をもとに、同フォーラムが新日鉄に遺骨存在の確認を要請したところ、当時と現在では会社そのものが違うこと、古い資料がないこと、政府間の問題であり企業が対応すべきことではないこと、などを理由に拒否。そこで直接、光昭寺を訪ね遺骨の存在を確認した。同寺の住職は、遺骨が今なお安置されていることは認めたものの、調査、取材については、企業から預かっている遺骨であり企業の了解を取ってほしいとのことだった。 その後、数回にわたり企業、光昭寺との交渉が行われた。その過程で両者とも、今回の調査、取材が遺族を探すうえで大きな手がかりとなるということを理解し、遺骨の存在を公にするに至った。 2人の遺族はまだ見つからず 遺骨が見つかった「具然錫」「松田芳夫」「朝本延基」の3氏は、死亡時それぞれ17歳、16歳、15歳の若さだった。本来は5体あるはずだが、2体は数十年前、訪ねてきた遺族に返還されているという。具さんの遺骨の脇には遺品の日記をはじめ、生前家族や知人から寄せられたはがきなどが安置されていた。44年11月のオモニからのはがきには、「来年(45年)7月に無事に到着するよう心から祈っている」と書かれていた。 MBCの取材に対し、光昭寺の住職は、「遺骨を返還しなければならないと考えながら今日に至った。このたびの取材がきっかけとなり、遺族が見つかることを願っている。遺骨が遺族の元へ帰れるよう努力したい」と語った。 新日鉄室蘭製鉄所の広報担当者は、遺族が見つかり返還を求めた場合は、人道的見地からその実現にあらゆる協力をすると語った。 3人の犠牲者のうち、具さんの遺族はMBCが確認しており、残る2人の遺族は現在、調査団の協力要請に応じた南の市民団体「平和市民連帯」が調査を行っている。 「ゴミのように放置」 光昭寺取材の様子は、8月14日にMBCの特別企画番組の中で放送された。同番組では各地調査団の全面的な協力により、軍属として連行され、精神病を患い、日本で孤独な死を遂げた金百植さん(本紙7月7日付で紹介)の苦難に満ちた生きざまとともに、日本各地の強制労働現場などを紹介。遺骨返還はもとより、遺族に死亡の事実すら知らされず、「ゴミのように放置されている」現状を伝えた。さらに翌日の解放記念日には、KBSテレビも日本の過去の清算を求める特集を組んだ。 今年2月と3月、「日帝強占下強制動員真相究明特別法」「反民族親日行為真相究明特別法」が南朝鮮で成立した。また5月にソウルで行われた「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」第2回大会は、日本に過去の清算を求める南で最大規模の会議となった。 こうした流れの中で8月15日、盧武鉉大統領が就任以来初めて日帝下でのさまざまな問題を含める総合的な真相究明を提案した。 北南朝鮮と日本との連携調査は、来年の解放60年に向けて今後さらに進展するものと思われる。(崔良先記者) [朝鮮新報 2004.9.11] |