top_rogo.gif (16396 bytes)

「総連綱領改訂を読む」−(下)

主体的路線への転換 

 総連の綱領には、結成当時の活動家、同胞らの愛族愛国の精神が深く刻み込まれている。

 しかし、民戦(在日朝鮮統一民主戦線、1951年結成)時代には、事大主義と民族虚無主義にとらわれた一部の指導者たちによって、在日朝鮮人運動は日本の民主化運動の一環と捉えられ、誤った道へと導かれた。その過程で、同胞の多くが日本の革命を目指す暴力闘争へと駆り出され、投獄され、犠牲になった。その結果、同胞団体は危険な「暴力団体」のレッテルを張られ、さらなる弾圧を受けるようになった。

 このような極左冒険主義的道を歩んだことで、存亡の危機に瀕した在日朝鮮人運動を憂いた故韓徳銖議長(結成当時は祖国戦線中央委員)らは、危機を打開すべく、金日成主席に指導を仰ぎ、主体的路線への転換を図った。在日同胞は祖国と民族、そして自分たちのための運動を展開するようになった。

 韓議長は民戦中央委19回会議(55年3月11〜12日)で「在日朝鮮人運動の転換について」を発表。日本の革命に従事しようという民戦の組織路線の根本的な誤りを指摘し、祖国、民族、同胞のための運動を行うべきだという主体的路線への転換を提唱した。さらに、「チュチェ」の原則、大衆路線、内政不干渉の原則を明確にし、今後の活動として8つの課題を提起した。これが「8大綱領」、総連の初代綱領である。

 南朝鮮の李承晩独裁政権崩壊(60年4月)後に一部改訂された初代綱領は、金正日総書記から総連結成40周年に際して送られた書簡「在日朝鮮人運動を新たな高い段階へと発展させるために」(95年5月24日)をもとに、変化する環境に合わせて在日朝鮮人運動をより発展させるため、17全大会で全面改訂された。

徹底して同胞に献身

 だが、祖国での相次ぐ自然災害、米国の対朝鮮孤立、圧殺政策と、変わらぬ日本の反総連、反朝鮮策動、さらには拉致問題にかこつけた狂乱的な敵視政策のなかで、同胞の組織離れが進む総連は、危機的状況を直視し、活動方針を根本的に変える必要性を痛感した。

 総連中央委18期3回会議拡大会議(99年9月21日)では、結成以来から変わらぬ活動方法を改善し、総連運動の主体である同胞の要求と、居住国である日本の実情に合わせて活動するように方法を変えることを決めた。同19期2回会議では、総連を取り巻くさまざまな難局を打開するための具体的な活動内容について議論された。

 このような流れの中で、総連は20全大会を迎え、2度目の大幅改訂に踏み切った。

 だが、総連の運動を新しい世代を中心により高い段階へと発展させ、大多数の同胞の支持を得ることができるかどうかは、総連が新綱領の精神に従って同胞のためにどれだけ尽くすことができるかにかかっている。

 その意味で今回の綱領改訂は、状況の変化に能動的に対処して自らの活動スタイルを変えようという、ここ数年間の総連活動の集約であると同時に、徹底して同胞に献身し、その期待と信頼に応え、在日朝鮮人運動を新しい時代の要求に応じて発展させようという、総連の確固とした決意表明であるとも言える。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2004.7.27]