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遺骨を家族のもとに

 5月中旬にソウルで行われた「日本の過去の清算を要求する国際連帯協議会」では、日本の過去に対する謝罪と賠償を訴える声明が採択された。来年の「戦後60年」に向けて、日本の「過去の清算」を求める声はさらに高まっている。

 新たに公開された日本の外交資料には、日本の強制連行による朝鮮人犠牲者の遺骨引渡しに関する、遺族と日本政府間のやりとりが残されていた。

 1944年4月に北海道室蘭市に連行され、日本製鉄輪西製鉄所(現在の新日本製鉄室蘭製鉄所)で働かされた慶尚南道出身の具さんは、45年7月、米国の空爆の被害を受け亡くなった。具さんを含め、3人の遺骨が今も北海道の光昭寺に安置されたままだ。

 具さんの父親は、池田首相(当時)あてに、息子の死亡確認、遺骨引渡し、損害賠償などを求める陳情書を数回にわたって送った。

 陳情書は官房庁から厚生省、外務省へと回送された。日本政府が重い腰を上げたのは、64年3月に「駐日韓国代表部」から調査依頼を受けてからだった。

 日本政府は当時の「日韓会談」の過程で、遺骨返還の問題を「請求権」問題に含めて「一括解決」し、南朝鮮政府と個人との間で解決するよう促した。

 遺骨の引渡しには、埋葬費、葬儀費、未払賃金などの問題がからむ。南政府はこれらの問題を盾に、遺骨の返還を断った経緯があるが、南側が「請求権を放棄した」時点で日本側に責任はないとする見方もある。南では外交通商部を相手取った訴訟も起きている。

 しかし、ことの発端は日本の植民地支配にある。

 今もなお日本に置き去りにされている朝鮮半島出身軍人軍属犠牲者の遺骨は約2300柱。北側出身者の遺骨問題はほとんど取り上げられない。日本政府が過去の過ちを反省し、遺骨を無条件に家族のもとへ返還すること−それが「清算」の一歩ではないか。(泰)

[朝鮮新報 2004.7.7]