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〈投稿〉 驚天動地の新世紀、6.15発表4周年に思う

 歴史的な意義を持つ北南共同宣言発表4周年に際し、私は7千万同胞とともにその驚天動地の生命力と正当性を目撃し、感慨無量である。

 2000年6月の共同宣言発表以後、南北間では多様な交流と協議が行われ、現在も進行中である。そしてこの間、反米自主化闘争がねばり強く繰り広げられ、反共、反北、反統一勢力に大きな打撃を与えてきた。その過程で盧武鉉政権が登場した。

 反統一、守旧勢力が先導した大統領弾劾訴追の暴挙に憤激した広範な民衆は、4月15日の総選挙を通して反統一勢力を決定的な敗北に追い込み、与党・ウリ党が国会議員299人のうちその半数を超す152議席を占め、初の労働者の党、民主労働党が10議席を占めるという輝かしい勝利を手にした。

 社会の変革を促す動きは、それだけにとどまらない。50余年間、社会の民主化を阻止し、北南の交流と統一を妨げたのは米軍と軍事独裁体制であり、その法的措置とも言うべき「国家保安法」(保安法)であった。この悪法によって数知れない人たちが弾圧、犠牲になった。

 4月の総選挙後、新国会議員の8割近くが保安法の廃止または改正を主張している。したがって、稀代の悪法も近日中に舞台から消え去るものと見られる。

 近年北南間の交流、協力事業は質量ともに飛躍的に発展した。平壌、金剛山などへの南の観光客は急増しており、体育、文化、芸術、学術などの分野でも交流が盛んである。その過程で相互信頼、同胞愛も深まり共助精神も高く発揮されている。

 各分野における北南間の変化、とくに南側の変化の底に流れているのは6.15共同宣言の生命力であり、その正当性の現れではなかろうか。

 共同宣言は、在日同胞、とりわけ私の個人の生活にも大きな変化をもたらした。

 2002年9月29日から10月14日にかけて開催された第14回釜山アジア競技大会。北の選手団を応援するために総聯の同胞が千余人も大挙してソウル、釜山を訪れ、故郷訪問も同時に実現された。そこに私も参加できたのだった。

 総聯の同胞らは50余年間も親族の不幸時にもじっと耐え、故郷訪問をしなかった。祖国統一実現後に故郷訪問をしたいという覚悟と信念を在日同胞は持ち続けてきたからだった。

 釜山アジア大会に先立ち共同宣言発表後、総聯の老活動家や高齢の同胞が数百人、合法的かつ正々堂々と故郷訪問を果たしていた。

 2年前のソウル、釜山訪問で私が受けた印象は、私の会った南の民衆が自尊心が強く、自信にあふれ堂々としていた点であった。それは半世紀にわたって反民主、反共、反北、反統一勢力の軍事独裁体制に反対して抗争し、民主化を勝ち取り、6.15共同宣言のもとに北南交流を深めてきた実績に基づく自負心の現れだと思えた。

 また、活気ある経済活動、山河が緑色に染まり、稲穂が豊かに実る水田。私が少年時代を過ごした故郷の田園風景の記憶がよみがえり、郷愁の原点に立ち戻ったような思いにとらわれた。

 釜山アジア競技大会の閉幕式に参加した時、北南交流の生々しい感動的な状況を目撃した。

 すべての演目やアトラクションが終了するや数千人の出演者(小中高大学生)がこぞって北側応援団席に押しかけ「美女軍団」と笑顔で互いにエールを交換し、握手抱擁しながら共に統一歌を合唱するという劇的なシーンが展開されたのだ。場内の盛り上がりはさらに高まった。

 50余年間の厳しい隔絶状況が瞬時にして消え去り、和解と共助、統一を願う南北と在日同胞の三位一体の大合唱となった。

 2002年9月のソウル、釜山訪問は在日60年、70歳を迎えた私の生涯にとっても意義深い旅路であったと考える。

 私は今後、6.15共同宣言を支持し、それを実現するために微力であるが努力していきたい。(崔鐘憲、東京都足立区在住)

[朝鮮新報 2004.6.17]