top_rogo.gif (16396 bytes)

〈華麗に、パワフルにオモニ舞踊家たち〉−下

 在日3世の李智玲さん(39、兵庫)は、失われつつある「同胞トンネ」の風景を思い浮かべる。

 李さんが幼かった頃、トンネのハルモニたちが集っては歌い、踊る姿が日常的にあった。同胞たちが分会事務所などに集っては祖国について学び、同胞社会の諸問題についてひざを付け合わせて口角泡をとばしていた時代。子どもたちはそこでトンネのハラボジ、ハルモニ、アジョシ、アジュモニたちに出会い、朝鮮の歌や映画、チャンゴのリズムやオッケチュムにも触れたものだった。

「いつまでも踊り続けたい」と李智玲さん(左)は願う

 一般家庭に電話やファクス、コンピューターが置かれるようになった今では、仕事と生活に追われる人たちが時間を割いて支部や分会に集まらなくとも、連絡などは通信機器を使って簡単に済ませられてしまう。

 「結婚式にでも出かけない限り、子どもたちが学校以外の場所で民族の伝統文化に触れる機会は本当に減ってきた」

 結婚式でチュムパンが開かれたとき、李さんは子どもに「踊っておいで」と言うが、子どもは恥ずかしがって「嫌」と首を振るそうだ。

3世の焦り

 「子どもたちは4世だから」。日本で暮らしても生活様式は朝鮮のままであった1世たちと違って、日本で生まれ育った者たちにとってその子どもに「朝鮮のもの」を伝えるのは難しくなっている。李さんは、「昔見たハルモニたちの踊りじゃないけど、民族教育の場で学び、同胞たちに愛されてきた朝鮮舞踊を誇りに思うし、今後も踊りつづけたい」と願っている。

 以前、兵庫朝鮮歌舞団の舞踊家として舞台に立っていた李さんは、「退団後は、学父母としての存在以外、自分が朝鮮人として祖国や同胞社会と関わる場や自己表現の機会がないことからも舞踊は私にとってとても大切なもの」と考える。また、朝鮮舞踊を愛するオンマたちの練習場で「子どもたちが朝鮮の音楽と舞踊に自然に慣れ親しむのならこれほど良いものがどこにあろう」とも話していた。

育つ子どもたち

 大阪文芸同の李松栄さん(31)の双子の息子、金洸樹、洸羽くんらは、生まれながらにして「民族のリズム」が身についている。

 妊娠中も大きなお腹でチャンゴを叩き、朝鮮舞踊の指導をしていたオンマの影響を受けてか、2歳になる双子の息子たちは、洸樹くんがチャンゴの名人、洸羽くんは舞踊の名人としての「資質」を早くも発揮しつつあるのである。

 保育園から練習場に到着すると、洸樹くんがまず手に取るのはチャンゴのバチ。その握り方が、左右逆でも、上下逆さでもないのが大したものだ。洸樹くんは両手にバチを握って、床や、椅子、触れるものすべてをタンタンタンと叩いて回る。

 一方、洸羽くんは音楽が鳴ると、なぜか体が動いてしまう。取材中、オンマのひざの上で甘えていても、携帯電話の着信メロディーが鳴っただけでなぜか自然に体がリズムに合わせて動いてしまうのだ。

 その光景に周りの舞踊部員たちが思わず「かわいい〜!」と歓声を上げる。照れてしまったのか、再びオンマのひざに持たれかかる洸羽くん。

 「大阪では、妊婦も可能な限り練習に参加しています。それが胎教になったのか、子どもたちはチャンゴを叩き、ケンガリを鳴らしている中でも平気で床に頭をつけて居眠りをすることもあるんです」

 懐かしい「トンネの風景」は去りつつあっても、新しい世代が担う「文化的な風景」はまだまだ失われないようだった。

娘の気持ち

 東京都町田市在住の鄭眞さん(43)の娘、朴穂玉(12)、穂卿(10)ちゃんらは、踊るオンマについて「別に嫌じゃない(他の子のオンマより)少しましかな…」(妹、穂卿ちゃん)と照れくさそうに話してくれた。

 姉の穂玉ちゃんは「オンマが舞踊をするのは好き」と断言する。理由は、「それがオンマらしいから」。 

 家事をするのも、外で仕事をするのも良いけれど「踊っているのがオンマらしいからいい」というのだ。そのためオモニが家を空けることがあっても、それは「寂しくない」という。

 6月には文芸同中央主催の第2回舞踊コンクールも控えている。輝けるオモニ舞踊家たちの奮闘は今後も続く。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2004.6.7]