日本人との地道な交流を |
群馬県に建立された「記憶 反省 そして友好」の追悼碑。朝鮮人強制連行犠牲者を追悼するため、日本人有志らの手で、初めて県有地に建てられた。 当時の資料と強制労働跡地を発掘し、犠牲者を調査する活動は日本各地で行われている。だが、追悼碑という形で残っている例は稀である。 長野県の松代(長野市)、三重県の木本(現在の熊野市)、福岡県の筑豊(飯塚市)などにも碑が建てられているが、建碑過程でかなりの苦労を強いられた。 建碑と用地提供について行政の合意を得たにもかかわらず、その趣旨や碑文に関して行政から注文がつけられたあげく、流れてしまった例も多い。中には寄付金を集めて、自分たちで用地を購入した例もあるほどだ。群馬県の例がどれほど異例なことかがわかる。 群馬県の場合、碑の建設費用に6000人以上の県民の募金が含まれている。その総額は、各団体からの援助を含め1000万円近くになったという。 こうした支援の背景には、同胞との交流活動を通して県民の理解が深まったことがあることを忘れてはならない。 群馬県では、さまざまなレベルで同胞と日本人らの交流が行われている。 今年も、総聯、商工会主催の2004年朝・日友好親善新春の集いが西毛、中北、桐生、太田の4地域で行われた。集いには国会議員、県議会議員、前橋、高崎、館林など市町村の各首長、商工人、文化人ら計約850人の日本人が参加したというから驚きだ。 女性同盟はバザーや朝鮮料理の講習会などを通じて、朝鮮女性と連帯する会などと頻繁に交流を重ねてきた。 学校では公開授業などの行事に議員や地域住民らを招待し、生徒たちはスポーツや体験学習などを通じて交流を深めた。 ある同胞はこう語る。「日本人の支援は強力な武器になる」。(泰) [朝鮮新報 2004.5.18] |